以下のみのもんたの番組において、四国の阿波忌部氏三木家が、大和朝廷誕生以来大嘗祭で鹿服(アラタエ)を献上する役目をはたしてきた1800年続く家であると紹介されている。
その三木家の当主が、
徳島に先進文化を持つ民族がいて、それが近畿に移動し、日本の基礎を築いた
と述べた。
http://www.youtube.com/watch?v=SjjbaJQRuyU
つまり、大和政権を作った人々は、もともと徳島にいたと。
徳島とは、すでに述べたように、剣山を至聖所とする御神域の聖所で働くレビ祭司一族の居住地だった。
(2)
札幌のO氏から教えていただいたが、文語訳聖書の詩篇35章13節に
「鹿服(あらたへ)をまとい」とある。
しかし、私は――、彼らの病のとき、私の着物は荒布だった。私は断食してたましいを悩ませ、私の祈りは私の胸を行き来していた。(詩篇35・13 ダビデの歌 新改訳)
つまり、文語訳で「荒布」は「鹿服」と訳されていた。
すでに述べたように、日本において「鹿」は羊の代用として用いられてきた。
(諏訪大社の、アブラハムによるイサクの献上とそっくりな祭りミサクチ(御頭祭)において、山羊の代わりに鹿がささげられる。)
だから、悔い改めの際に着る「荒布」は「羊の服」であり、贖罪の衣装だった。
(神はアダムとエバに動物の毛皮を着せてくださったことを想起されたし。)
(3)
阿波忌部氏が、この「贖罪の衣装」を天皇の即位式に献上してきたということは、天皇は羊の贖罪によって神に受け入れられた契約の民イスラエルであることを示している。
しかも、大和朝廷を作るために畿内に移動してからは、王となったわけであり、天皇は日本を統治するために正式にレビ祭司によって任命されたイスラエルの王ということになる。
(4)
「先進文化の担い手」とは、おそらく土着の民族ではない、つまり、外来の民族を意味するのだろう。
私は、ユダヤ人であったと考える。
ユダヤ人が徳島に住んでいた。
そして、そこから畿内に移動し、大和政権を樹立した。
レビ族であった阿波忌部氏は、大和政権を樹立した天皇を祝福し、油を注いで正式に王として任命した。
このような関係が大嘗祭における鹿服の献上という形で今も続いているのであろう。
日本は、最初から契約の民の国だった。