回り道を避けて世代を通じた蓄積を求めよう
ユダヤ人には良いユダヤ人と悪いユダヤ人がいる。
これは、他のすべての民族と同じだ。
この良いユダヤ人と悪いユダヤ人の区別は血ではない。
アシュケナジーとスファラディで区別するとわけがわからなくなる。
アシュケナジーは、カスピ海付近にあったカザル帝国の末裔であり、本物のユダヤ人ではないという。
しかし、考えていただきたい。
イエスを十字架につけた人々はスファラディのユダヤ人である。
なぜならば、カザル帝国がユダヤ教を採用したのは8世紀のことだからだ。
イエスの当時、スファラディのユダヤ人しかいなかった。
正しい分け方は、羊系と山羊系である。
マタイ25章に、審判者イエスが人々を羊と山羊とに分けるとある。
羊の人々はクリスチャン。山羊の人々はノンクリスチャン。
ユダヤ人も羊と山羊に分けられた。
これは、紀元70年に起きた。
紀元70年に、山羊系のユダヤ人に審判がくだった。
ローマがユダヤを占領し、神殿を破壊した。
これで、旧約の体制が終焉を迎えた。
さて、羊系のユダヤ人は、御使いの導きにより、危うく難を逃れて、ヨルダン川を渡り、東に向かった。
彼らは救われたのだ。
山羊系の人々は大虐殺された。
その中の生き残りがヨーロッパやアフリカ、アジアに散った。
異邦人の中で迫害の歴史が始まった。
だから、基本的にユダヤ人は、山羊系である。
キリストを拒否し、十字架につけ、そして、2000年間神を拒み続けている。
羊系の人々はまとまって日本列島に入った。
これは、飛鳥・三神氏らが唱える説である。
私も同意見である。
山羊系の人々は、イエス・キリストを拒否し、サタンに付き従ったため、「律法を持ちながらなおかつサタンに従う」人々になってしまった。
律法を持っているから、異邦人がどんなに束になってかかっても勝てるわけがない。
科学的知識がない民族が科学的知識を持つ民族に勝てないのと同じように、情報力にあまりにも差がありすぎる。
異邦人は、たとえクリスチャンになった後でも、ギリシア自然法思想を捨てず、ヘブライの聖書法思想を捨てた。
そのため、神の知恵を失った。
だから、最終的にユダヤ人にすべてを牛耳られた。
シオン議定書において著者はこう述べた。
「異邦人は愚かだから、自分の世代だけで力を獲得しようとする。そうやってかえって力を失っているのだ」と。
ユダヤ人は、何世代にもわたって長期戦で望むから、一喜一憂しない。
相続を重視して、教育を重視する。だから、すぐにその社会のリーダーになる。
演劇の分野で、演技に革命的な理論を作り、影響力を持っているのはユダヤ人である。
経営学の分野でも同じだ。ユダヤ人であるピーター・F・ドラッカーは経営学の神様だ。
共産主義者マルクスも、ロケットの父フォン・ブラウンも、各分野において教祖的な地位についているのはユダヤ人である。
何世代にもわたって、律法から知恵を得ているから、違うのだ。
われわれは、どんなに日本語が得意な外国人でも、イントネーションとかちょっとした違いで見分けることができる。
幼少期において日本語を母国語として使用してきたわれわれは、学習して日本語を実に付けた人には絶対に負けない。
それと同じで、幼少期においてそれを日常的に慣れ親しんだならば、その文化はその人の血肉になっており、どうやっても切り離せないくらい自然になる。
これはそうじゃない人にとっては、乗り越えられない壁になる。
一代でもこれだけの違いが生まれるのだ。
じゃあ、3、4世代たったらどうだろうか。
10世代ずっと律法を学び、暗唱してきた人々にわれわれ異邦人が勝てるだろうか。
絶対にムリなのだ。
クリスチャンホームでも、3代目くらいになると、ぜんぜん違う人間になる。
もちろん、世俗の教育を受けさせれば、もとの木阿弥に戻るが。
クリスチャン教育を徹底したならば、3代目は筋金入りのクリスチャンになる。
幼少期から律法を暗唱させ、聖句を学ばせ、教理訓練をして、それが3世代4世代になったら、もはやその人から福音の影響を取り去ることは不可能だ。
神の御心は、こういった世代を通じた継承にある。
そして、サタンはこの継承を断ち切るためにものすごい攻撃をかける。
共産主義の原理による義務教育制度は、それである。
子供を親の影響から引き離して、日教組の教師のもとに送る。
そうしたら、「世代を通じた蓄積」を阻害することができる。
まともにクリスチャン教育をしたら、4世代たつと、「スタート地点から違う」まったく別の人間が育っているはずである。
祝福の度合いがまったく違う宇宙人のような人間になる。
3世代目の韓国のクリスチャンを知っているが、はっきり言ってうらやみすら覚えた。
ぜんぜん違うのだ。
知恵のレベルが。
ラッシュドゥーニーは、紀元4世紀から続くクリスチャンホームの出身である。
だから、ぜんぜん違う。
私は2代目だから、だめだ。
異邦人の学校で訓練されたからいろいろ障害が多かった。
われわれは、信仰の原理により、聖書に忠実に従って子孫を形成する使命を帯びている。
オハイオ州のクリスチャンホームスクーリングの人々は、中学生くらいでラッシュドゥーニーの『聖書律法綱要』を使って授業をする。
私が苦労して30年かけてたどり着いた地点に14歳でたどり着いている。
そこから出発する。
律法から離れて、自然法だの、倫理相対主義だの、回り道を子供に許すならば、世代を通じた蓄積などありえない。
一からやり直しても神の国は成長しない。
われわれは継承を行うためには、考え方を完全に変えるべきだ。
そして、思想を徹底して聖書信仰に変えないと、自分が損をする。
神の評価の中心は、実にここにあるのだから。
2011年4月13日
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