この一点にフォーカスして、全精力を傾けるべきだ


情報は命である。

蛇に咬まれたときに、どの解毒剤を投与するか、の知識は命に係わる。

人生の中で、イエス・キリストの十字架の犠牲について知っているかどうかは永遠の運命を決定する。

これ以上に重要な情報はない。

しかし、人々はそれを無視する。

そのために貴重な人生を無駄にし、永遠に呪われたものになる。

たとえイエス・キリストの救いについて知識があっても「救いを受け入れた後、何をして残りの人生を送るべきか」という情報を知らないと、せっかく与えられた救われた命を無駄に使ってしまう。

神の国のために費やしたお金やものは少なくとも100倍になって返ってくる。


イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、
その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。(マルコ10・29-30)

伝道して人を救いに導いた人は、星のように永遠に輝き続ける。

思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。(ダニエル12・3)

預言者を支援した人は、その預言者と同じ報いを受ける。

預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。(マタイ10・41)

われわれは、報酬を期待してこの世を生きるべきである。

来世への備えをしない人は「間抜け」である。

イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。
主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』
管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、物ごいをするのは恥ずかしいし。
ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』
そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言うと、
その人は、『油百バテ』と言った。すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい』と言った。
それから、別の人に、『さて、あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、『小麦百コル』と言った。彼は、『さあ、あなたの証文だ。八十と書きなさい』と言った。
この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。
そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。
小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。
しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(ルカ16・1-13)

この管理人は、免職された後の生活のために、負債者に恩を売った。

官僚の天下りのようなものである。

神は抜け目のない人を称賛される。

義人イコール「馬鹿正直」ではない。

せっかく与えられた毎日の生活を「永遠の住まい」のために利用しない人は、抜け目がある、つまり、間抜けである。

聖書的な活動があることを知りながら、それに対して支援もせず、傍観しているばかりで、ディスペンセーショナリズムの活動のような悪魔の手助けをするような教会に献金するような人は間抜けである。

私は、若いころに「一番効率のよい生き方は何か」と自問した。

「何がもっとも貴重で、何がもっとも実質があるか」と考え、聖書に徹底的に忠実になろうと決意した。

今の教会を見ると、徹底してない。

「救われた後は伝道しましょう。再臨のときに携挙してもらえる人を増やしましょう」と。

「この世界は滅びゆくのだから、それを変えようとしても無駄です。ノンクリスチャンにまかせましょう」と。

「地を従えよ」はどうした?

「御国が来ますように」「御心が天で行われるように地上でも行われますように」はどうした?

「あらゆる国民を弟子としなさい」はどうした?

悪魔に騙されて地上を放棄してしまった。

一番大切な問題をスル―して、一番こだわらなければならないところをいい加減に扱って、どうして人生を無駄にしていると気付かないのか。

聖書は「この世界はどうでもいい」と教えていない。

「不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。」

「現世の富を利用せよ」と。

「不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう」

現世の富をどのように利用したかによって、来世の富が決まる。

われわれは、いつ死ぬかわからない。

死んでから「ああしておけばよかった!」では遅い。

私は、今の時間を、一切の無駄を排除して生きたい。

永遠の富につながらないことは一切やりたくない。

迷いの時間は過ぎ去った。

ミレニアムを通じて正しい教えに触れたのだから、この一点にフォーカスして、全精力を傾けるべきだ。

 

 

2017年6月24日



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