御父は実を結ばない枝を刈り込まれる
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。(ヨハネ15・1-2)
イエス・キリストは、父なる神のために結果を残さねばならない。
世界は、法的にはイエス・キリストの支配下に入ったのであるが、実際的にはまだ征服過程である。
イエス・キリストは、父なる神のために世界征服の途上にある。
イエス・キリストは、教会(エクレシア=クリスチャンの集合体)を用いて世界を征服される。
「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」
イエス・キリストの枝とは、イエス・キリストに属する人々を意味する。
つまり、信仰によってイエス・キリストの体の中に加えられて、クリスチャンの共同体の中に入った人々。
それは、目に見える共同体と目に見えない共同体とがある。
目に見える共同体とは、地方教会、つまり、それぞれの土地にある〇〇教会のようなもの。
牧師がいて信徒がいて、毎日曜日礼拝のために集会を持っている教会。その他、牧師など正式な制度はないが、クリスチャンが2人または3人集まって作られる集団も含まれる。
目に見えない共同体とは、全世界のクリスチャンの共同体。
同じ信仰によってイエス・キリストにつながっているすべてのクリスチャンたち。
目に見える共同体は、多数あるが、目に見えない共同体は一つしかない。
全世界のクリスチャンは、イエス・キリストへの信仰によって「一つ」である。
さて、この共同体は、世界征服の中でそれぞれの役割を果たす。
もし役割を果たさず、栄養だけ奪うような枝があれば、農夫はどうするか。
刈り込みをする。
つまり、切り捨てる。
この地上を神の国に変える働きにおいて、足をひっぱるだけの人々は切り捨てられる。
切り捨てたほうが、全体にとっては利益がある。
栄養が、効率的に「実を結ぶ有能な枝」のところに行くから。
刈り込みをする主体はあくまでも「御父」である。
人間ではない。
誰でも、神の国のために活動する目に見える共同体及び目に見えない共同体から除外されたならば、それは、御父がそうなさったのである。
御父の御心でなければ、また戻ってくる。
御国拡大の活動を積極的に妨害するような人々は、自称クリスチャンであって、その実体はサタンの工作員である。
彼らが刈り込みをされるのは仕方がないが、御父は、「ただ栄養を吸い取るだけの人々」をも刈り込みをされる。
霊的な栄養をただいただくだけの人々。
教会に通っていても、献金でお返しをしない人々。
こういう人々は、無用なので、切り捨てられる。
クリスチャンの団体の成功・不成功は、費用対効果にかかっている。
御父は、実を結ばない枝を刈り込まれる。
2017年2月15日
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