日本の本当の支配者は日銀営業局である
『円の支配者』(リチャード・A・ヴェルナー著、草思社)は国民必読の書である。
日本の本当の支配者は、日銀である。
日銀は、通貨を管理しているからである。
通貨を管理する者は、誰にお金を手にさせ、誰には手渡さないか、経済を不況に向かわせるか、景気を回復させるか、そしてどれほどの人を失業させ、どれほどに職を得させるかを決定できる。
日銀が日本の支配者であるならば、そのトップこそが日本の王ということになる。
それは誰なのか。
総裁ではない。
日銀には、総裁ですらメンバーになれない組織内組織がある。
それが営業局である。
ここが日銀の実権を握っている。
見る目をもった日銀スタッフには、日本銀行にはエリート中のエリートが存在することは自明だった。この少数のグループは信用創造量を決定し、窓口指導の権力を頑強に守って、誰にも口出しをさせなかった。彼らは後継者を自分たちで選んだばかりでなく、忠実な部下だけを営業局長やその下の重要ポストに就けた。窓口指導政策を管轄する営業局の権利は非常に大きく、日銀の他の部門から独立していた ので、他の日銀マンは彼らを「関東軍」と呼んだ。
関東軍とは、一九一〇年代から満州に駐屯していた日本軍部隊である。東京の総司令部の掣ちゅうを受けず、勝手に攻撃的な政策を追求した結果、日本を対中戦争に追い込むことになった。結果は悲惨だった。同じく窓口指導の貸出割り当ても日銀内部の少数のグループによって決められていて、彼らは誰にも責任を負わずに勝手に行動していた。敏感な銀行関係者はこの事実を知っていたが、日銀との良好な関係の維持に銀行の将来がかかっていたから、どうすることもできなかった。先の「日銀担2」の行員はこう証言している。「窓口指導は営業局長が決めていた。営業局長は日銀で最も強い力をもち、いつかは総裁になる人物だった。バブル時代の営業局長は福井で、二十年前の局長は三重野だった」。
(235ページ)
後継者を選ぶにあたって最優先される基準は、自分への忠誠度と目標を同じくするかどうかであって、必ずしも能力ではない。強い忠誠心を育むためには、かなり早い時期から後継者を王位「継承者」に指名しておかなければならない。そうすれば後継者は恩義を感じ、先任者の政策を継ぐことで応えるだろう。(229ページ)
1986年、三重野と福井の窓口指導でバブルが形成されはじめていた(237ページ)
三重野副総裁は国会証言で、「金あまり」問題について懸念していると述べている。ほんとうに懸念していたのなら、なぜ彼は窓口指導で銀行にあれほど高い貸出枠を設定したのか?1987年7月には、彼は国会予算委員会で「引き続き金融緩和の基調は維持していく」と述べている。(237ページ)
銀行が無責任にも、文字通りただのような資金を提供して…誘わざるをえなかったのは、三重野の窓口指導によって不動産業種への貸し出し枠を大幅に拡大しなければならなかったからである。(238ページ)
三重野総裁はバブル潰しに執念を燃やします。地価の高騰に歯止めをかける地価抑制策は、直接的な土地取引の規制、土地関連税制の強化、そして金融政策と3つの手段が動員されます。最も利いたのは金融政策、金利の引上げでした。89年に3回、90年に2回の金利引上げによって、バブルは急速な勢いで縮んでいきます。
1990年4月に「総量規制」は地価高騰を抑止することを狙いとして導入されます。総量規制とは、金融機関に不動産業界向けの融資を、貸出残高全体の伸び率以下にすることを義務づけるものでした。無制限の土地担保融資を直接抑え込む方法でしたが、抜け穴があり金融機関は住専を通じて融資を続けます。このため地価はいきなりは下がりません。バブルの熱気はまだ、濃く残ります。
遅れてきたノンバンクと呼ばれた住専は、東京の地価高騰には乗り遅れたことから、主に関西を主戦場にしたことから、破綻はすぐにやってきました。これがやがて大問題に発展していくのです。金融当局が関西系の銀行を次々と破綻させていくのも、これらの事情によるものとされています。
http://www.officej1.com/bubble/jigoku-0.htm
基本的には規制と許認可を中心としたシステムから市場メカニズムに基づく「原則自由、例外制限」という体制に転換する。また輸入の増大、市場アクセスの改善、それに「規制緩和の徹底的推進」 が目標とされた。政治的に微妙な問題をはらむ農業部門についてさえ、レポートは輸入品への市場開放と市場メカニズムのさらなる活用を呼びかけた。(248ページ)
わたしに通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば、誰が法律を作るかなど知ったこっちゃない。
2014年5月22日
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