フルプレテリストが回答できない疑問2
イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。(黙示録1・1)
フルプレテリストは、この箇所から「黙示録全体はすぐに起きるはずの事だ。だから、黙示録全体は紀元70年までに起きた」と唱える。
「聖書の一箇所だけから教義を作ることはできない」は、聖書解釈の基本中の基本である。
他の箇所と調和できない教えは、教えとして受け入れてはならない。
すでに世界が完成され、新天新地が到来しているのであれば、大宣教命令の意味はなくなる。
現実的に諸国民が弟子となっていない以上、現在のこの世界を「完成された世界」と見ることはできない。
「血肉のからだでは神の国を相続できない」とパウロが述べている以上、われわれの体を完成された復活体と見ることはできない。
われわれは、朽ちることのない「御霊のからだ」が与えられるのである。
その体が与えられたら完成された世界、新天新地にいると考えることができるが、現状、この朽ちゆく体を持っているので、この世界はそのような世界ではない。
では「すぐに起きるべき事」とはどのように解釈すべきか。
ヨハネは、手紙を当時の小アジアの7つの教会のクリスチャンにあてて書いた。
もうすぐ起きるイスラエルへの裁きを示すことが目的であったが、それだけではない。
なぜならばヨハネは読者に「希望を与えようとした」からである。
彼は、紀元70年までに起きることだけではなく、その後にどのような世界が到来するかも示すことによってこの目的を果たそうとした。
クリスチャンを迫害するローマ皇帝ネロやユダヤ人たちの運命を記すだけではなく、彼らが滅んだ後に、どのような素晴らしい世界が到来するかも示した。
すなわち、千年王国の開始、その終焉と、その後に来る新天新地、永遠の御国を描いた。
会社は、社員に手紙を書くときに「今年のスケジュール」の後に、「我が社の長期的ビジョン」を最後に添えることがあるかもしれない。
たとえタイトルに「本年度計画」とあったとしても、今年の計画「年商1億円を目指す」の記述の後に「将来的には、全国店舗を1000店に増やし、年商100億を目指します」と明るい展望を示すことがあるかもしれない。
それを社員の側で杓子定規に、最後の箇所は「本年度計画」に含まれない長期ビジョンだから、この通達はおかしいとは言わないだろう。
それと同じように、ヨハネが「すぐに起きるべき事」と述べたからといって「全部が全部、すぐに起きる」と必ずしも解釈しなければならないわけではない。
とにかく、聖書の他の箇所や全体の主張と食い違うような解釈はしてはならない。
2019年6月4日
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