契約の民が周辺文化に影響を与えた
>ノアの箱舟の話はギルガメシュ叙事詩がもとになっています。聖書は、当時の周辺文化の影響を多大に受けています。
聖書によると、ユダヤ人は、紀元前10世紀にすでにアジアに大船団を組んで旅行をしており、それ以前からフェニキア人とユダヤ人は共同で商業活動を世界大で行っていたことが明らかです。なぜならば、突然大船団で世界を回るなどということは合理的ではないからです。
フェニキアの来日の跡が与那国に残っています。
http://www.wonder-okinawa.jp/024/japanese/moji/sanninum/index.html
オーストラリアにもあります。
http://www.millnm.net/qanda/fenikia/
フェニキア人が世界旅行をしていたことは、ユダヤ人も行っていた可能性があります。
実際、古代ユダヤ人のメノラーが南米で発見されています。
時代はくだって、紀元前2世紀に旅行家の記述に「どこに行ってもユダヤ人の集団を見た」とあります。実際、新約聖書では、すでにユダヤ人は世界中に散っていると述べており、弟子たちは、契約の民であるユダヤ人に約束のメシアの福音を伝えるために、インドや中国まで訪れました。
紀元前からユダヤ人は巡回伝道者がいて、シルクロードのオアシス都市に拠点を設け、各都市のシナゴーグにおいて礼拝しているユダヤ人を尋ね説教する体制が整っていました。早稲田大学のラビ・トケイヤーは、自分の先祖はブハラを中心に活動するそのような巡回伝道者だったと述べています。そして、彼らは、異邦人にも改宗を勧めていました。それは、福音書に書いています。
ですから、ユダヤ人の思想が各民族に影響を与えた可能性もあるわけで、どちらが先かというのは定かではありません。
バビロニアのギルガメシュ叙事詩であっても、Wikipediaが述べるように紀元前二千年紀初頭の作であれば、アブラハムと同時代であり、アブラハムが伝えた可能性もあります。
私は、古代の人々にある共通の記憶のようなものがあって、洪水伝説がその共通記憶から生まれていると考えます。そして、ユダヤ人は神の預言者として召しだされた民として、正しい情報を継承し、聖書に残したと考えます。それに基づいて、伝道者が、異邦人に対して教えを垂れていたと。
記録によると、ピラミッドを最初に建設したイムホテプとファラオの宰相ヨセフは酷似しており、ヨセフが持っていたユダヤ思想がエジプトに影響を与えたと私は考えていますが、ピラミッドの成立年代を古く設定する今の学界では、逆にエジプトがヨセフに影響を与えたというように考えています。
http://www.s8int.com/joseph.html
バビロン捕囚から解放された人々は、パレスチナに帰国せず(2部族だけ帰国しました)、記録によると、東に向かったとありますので、アジア全域にユダヤ人が散ったと推測されます。たとえば、アフガニスタンのパシュトゥンはユダヤ系です。中国の開封には中国系ユダヤ人が今もすんでいます。
イスラエルの公的機関であるアミシャブは、離散ユダヤ人の本隊は日本に入ったとも述べており、古代においてユダヤ人のアジアや日本思想への影響は濃厚であったと推論できます。
天照大神の岩戸伝説も、キリストの復活と似ています。すでに引用した文書は、明らかに神社本庁がキリストと天照大神をダブらせて考えていることを示しています。
天照大神の伝説が、キリスト教に影響を与えたとは考えにくいので、おそらく日本に来たユダヤ人が日本人に影響を与えたのでしょう。
実際、日本書紀によれば、秦氏は、弓月の君を中心として大陸からわたってきた渡来人であり、弓月国はシルクロードにあったキリスト教国であることが明らかなのですから、神道成立に大きな影響を与えた秦氏が聖書の思想を神道に持ち込んだと想定することも可能です。
私は、今の歴史学界がどのように考えるかということには興味がありません。
もちろん参考にはしますが、学説は絶対でもないのでもっと自由に考えたいです。
2011年1月5日
ホーム ツイート