パーシャルプレテリズムだけが歴史と終末を矛盾なく、かつ、健全に解釈できる
1.
紀元70年にやってきた新天新地と、黙示録21章以降の新天新地を区別しなければならない。
前者は「暫定的・漸進的な新天新地」であり、後者は「決定的・固定的な新天新地」である。
前者は別名「千年王国」であり、カルヴァンが言うように、それは「戦う教会」の時期である。
紀元70年以降、教会は世と戦い、勢力を拡大してきた。この戦いは、最終的に、第2の再臨において完成する。
それ以降は、戦いのない固定された新天新地である。
この2つの種類の新天新地を区別しないと、教会は戦う必要がなく、伝道する意味がなくなってしまう。
「戦う動機を喪失させる」という意味において、プレ・ミレやア・ミレ、そして、フルプレテリズムは「サタンの有効な道具」になり得る。すなわち、
プレ・ミレ→「どんなに戦っても最終的に反キリストにやられてしまうので地上を変える努力は無駄である。再臨を待つしかない」
ア・ミレ→「勝利者なのは天のクリスチャンだけであり、地上においてクリスチャンが勝利する保証はない。いや再臨まで世の中はどんどん悪化する」
フルプレテリズム→「紀元70年に救いは完成した。すでに勝利したのでこれ以上、教会がやることはない」
「聖書は実際に、最終審判後に新創造が完成すると教えている(ローマ8:18-23; 2ペテロ3:10-13)。そして、その新創造は、われわれの物理的復活体に適した環境になるとも。さらに、[黙示録]21:1-22:5のイメージの多くは、現在の秩序を超えた完全な状態を描写しているように見える。」
https://postmillennialworldview.com/2018/04/17/lin-king-rev-20-and-rev-21/
兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。(1コリント15・50)
「すなわち、救いは、一世紀にキリストにあって法的に達成され、キリストの地上の働きに続く歴史において歴史的に展開され、キリストが地上活動において目指された輝かしい成果としての仕上げにおいて完全に実現される。」(同上)
(1)キリストの公生涯→法的成就
(2)千年王国→暫定的かつ漸進的な実際的成就
(3)第2の再臨後→決定的かつ固定的な実際的成就
2018年4月27日
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