耳かき店殺人事件の林被告に無期懲役



人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。(創世記9・6)

人は神のかたちであるがゆえに、殺人者は殺されなければならない。

たとえば、「かえるの面にしょんべん」ということわざがあるが、かえるを侮辱しても怒らない。

犬を侮辱しても怒らない。

人間は侮辱されると怒る。

なぜだろうか。

プライドがあるからだ。

プライド、誇り、名誉、栄光を求める人間の性質は神から来る。

神がそのようなお方なので、神の似姿である人間も持っている。

しかし、動物は似姿ではないのでもっていない。

動物を殺すことと人間を殺すことは価値が違う。

人間を殺すことは、神の似姿を殺すことだ。

自分の写真に唾をかける人に対して我々は怒るだろう。

なぜならば写真は、我々の似姿だからだ。

人間は神の写真のようなものである。

だから、人間を殺すことは、神を殺すことと等しい。

人間を殺すことに対して死刑以外の刑罰を科すことは、神を殺すことに対して死刑以外の刑罰を科すことに等しい。

つまり、偶像礼拝である。

神を神として拝まないことを偶像礼拝という。

神を自分の価値観の中で究極に置かない人はみな偶像礼拝者である。

神を神として拝む人々は、人間の殺害に死刑判決がくだらない場合に、義憤を感じる。

義憤を感じないとすれば、それは自分が偶像礼拝者であることを示している。

 

 

2010年11月1日

 

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