自分の人生を無駄遣いしないために


これまで、暇な時間はほとんど読書に費やしてきた。

旅行にしても、ミニストリのために行ってきた。普通のクリスチャンならば、神社めぐりをする私を見て、「道楽」に思えるだろうが、私はまったく異なる観点から神道を観察してきた。

それは、一言で言えば、「古代におけるユダヤ人クリスチャンによる日本伝道の痕跡を探す旅」だ。

読書は、小説とか漫画などの平易に理解できる本ではなく、思想本を読む。

だから、1ページ進むのに1ヶ月かかることもある。

ここで発表している知識は、思いつきで出しているものではなく、膨大な学習の背景がある。

とにかく自分が関心があるのは、「流れ」である。

細切れの知識ではなく、歴史の大きな流れ。思想の流れ。

「大局から個別を見たい」という強い願望がある。

聖書にたって、神の目から見た世界を知りたいと強く願ってきた。

私の願いに沿った学者がいた。それがR・J・ラッシュドゥーニーである。

そして、彼の弟子ゲイリー・ノースとグレッグ・バーンセンである。

さらに、レイ・サットンやケネス・ジェントリーなど。

聖書法から世界を見る活動だ。

この活動がどれほど貴重か考えてほしい。

世界は、神によって創造された。

だから、神の目的以外に正当な目的はない。

この地上を支配するための正当な目的は神の目的以外にはない。

だから、神の目から世界を見、解釈し、運用しなければ、自分の一生をムダに使うことになる。

一度限りの人生、貴重な人生を、自分の欲望のために使うのか。

永遠に残るものは、神から評価されたものだけだ。

自分の欲望でつくり上げたものなど、永続しない。

ならば、一番賢い生き方とは、神の目的にしたがって忠実に生きることである。

そのためには、聖書研究が欠かせない。

聖書に神の御心が記されているから。

自分勝手な解釈をしても、ムダになる。

神の啓示として忠実に読むことなしに、忠実な働きは存在しない。

ノンクリスチャンの場合、どんなに金持ちであっても、死ねばスッカラカンである。

ノンクリスチャンは、「相続権を持たない」人であるから、しかたがない。

クリスチャンは、神から相続者として公認された人だ。

だから、自分がなした業を永遠に所有できる。

相続者として、自分の事業の果実を永遠に楽しむことができる。

ノンクリスチャンの悲劇の中心は、「相続できないこと」にある。

クリスチャンは、神の御心にかなった事業だけ相続できる。

自分勝手な解釈でつくり上げた思想などに基づく事業に報いはない。

私のこれまでの行動指針は、「できるだけ無駄を省きたい」ということ。

つまり、「人生において神の御心か御心でないかを徹底して分析し、御心だけを行う」ことに集中したと言っていい。

それで行き着いたのがヴァン・ティル→ラッシュドゥーニー→ゲイリー・ノースのラインだった。

みなさん。

このライン以外やってもムダです。

どの活動を始めるにしても、まずこのラインをマスターしましょう。

自分の人生を無駄遣いしないために。

 

 

2011年6月2日

 

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