巨大な仕事が目の前にある
ある友人と会った。22年ぶりの再会であった。
教会でともに信仰生活を送った仲間だ。
外国に行ったのでスカイプで会話するだけだった。
今回急に日本に帰国したというので会った。
実は、あまり会いたくなかった。
なぜならば、勝利の神学に立っていないからだ。
案の定、今日もこちらの話に乗ってこなかった。
「できると信じて戦うべきだ」と言っても「そんなことに関心はない」という態度。
すぐに話を逸らす。
今のクリスチャンの典型である。
クリスチャンになった最初から、「世界を変えようとするな。世界は変わらない。やっても無駄だ」と叩き込まれている。
そして、「自分の個人的な内面の世界について考えよう。自分の心の中を聖められよう」みたいな教えで、「オタク化」されている。
だから、外に目が向かない。
完全な洗脳状態にある。
今のディスペンセーショナリズムのキリスト教は、クリスチャンをオタク化した。
日本人を3S政策(スポーツ、セックス、スクリーン)で骨抜きにしたイルミナティのアメリカと同じだ。
政治に目がいかないようにする。
統治者を邪魔しないように、3Sの娯楽を育て、そちらに意識を向けさせる。
こういう「逸らし」の技法を使ってわれわれを痴呆にしてきた。
これと同じ「逸らし」の技法が、ディスペンセーショナリズムによって、クリスチャンに適用されてきた。
クリスチャンが「統治」に関心を持たないように洗脳してきた。
「地を従えよ」との命令に無関心になるように、訓練してきた。
われわれは、この「騙し」から解放されるべきだ。
そして、サタンに対して挑戦状をたたきつけるべきだ。
「今まで、歴史を通じてずっとわれわれを騙してきたサタンめ!俺たちは目覚めたぞ!今度は、こちらが統治者としてお前の王国を消滅させてやる!」と。
思潮を逆流させるべきである。
これまでのヒューマニズムの思潮によって、世界は世俗化が進んできた。
キリスト教と無関係な世界が広がった。
政教分離思想によって、クリスチャンは政治に関心を持つべきではないとの教えが説かれてきたが、われわれは、政治に関心を持つべきだと唱えよう。
世界が聖書に基づいてすべてを考えるようになるまでわれわれは闘わねばならない。
これこそが大宣教命令である。
キリストの弟子を作ること。
すなわち、キリストと同じように、キリスト中心の世界を作りだそうと努力する人々を作ること。
あらゆるものをキリストの主権のもとに服させる人々を育てること。
いかにわれわれの使命が重大であるかお分かりだろうか。
人生がいくつあっても足りない。
巨大な仕事が目の前にある。
2013年7月27日
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