超自然的な平安



志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。(イザヤ26・3)

原発の問題とか、健康の問題とか、金銭の問題とか、いろんな問題に出会った場合に、問題に振り回される人と、それをコントロールできる人がいる。

問題をコントロールできるかどうかは、「志の堅固さ」にかかっている。

意志の力で、自分の感情をコントロールできるかどうか。

環境に左右される人は、意志の力が弱い。

意志が弱くて、環境に左右されることによって何かいいことがあるか。

ない。

やってくるのは、「不安」だけだ。

不安によって支配され、心が動揺して最後には病気になってしまう人は、つきつめると「志が堅固ではない」という根本的な問題をかかえている。

キリスト教は、進化論という爆弾を投げ込まれてから、ぐらついた。

このぐらつきは、150年たっても取れない。

これまでキリスト教は「志が堅固ではなかった」。

どんな科学的に説得力がある学説が現れても聖書を否定するようなものであれば、それを一瞥して捨てるべきだ。

しかし、これまでクリスチャンは、進化論に心を奪われて、エデンの園の話を疑った。それゆえ、聖書全体を疑った。

だから、不安に陥った。

平安を保つ秘訣は、一つしかない。「意志の力」である。

「神に信頼します!」と心に決めて、「心配をやめます!」と決意して、それを変えないことだ。

そして、頭の中から平安を失うような情報をすべて捨てる。

ちょっとの隙を狙って不安の材料を入れてくるサタンに対抗すべきだ。

何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4・6-7)

「何も心配するな!」と命令されている。

クリスチャンは、この命令を聞いて、「はい。何も心配しません!」と答えて、それを忠実に実行せよ。

そうすれば、「人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれ」るだろう。

これは、心理学の方法ではない。

超自然的平安だ。

「人のすべての考えにまさる神の平安」である。

われわれの生き方が超自然的になるには、環境に依存するノンクリスチャンと同じであってはならない。

「志を堅固に保ち」「何も心配しない」と心に決めて実行すること。

そうすれば、「超自然的な平安」があなたを守ってくれるだろう。

 

 

2011年5月29日

 

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