システムそのものが間違っていたと悟るべき時が来た


(1)
「全員で幸せになろう」なんて目標は、全員を不幸にするしかない。

「頑張った人を幸せにしよう」という目標は、結局、全員を幸せにする。

努力した生徒を罰する学校は、努力した生徒だけではなく、努力しない生徒も不幸にする。

なぜならば、学校全体の成績が低下するから。

累進課税制度は、一種の幻想。

(2)
国策でスポーツを振興し、オリンピックでメダルを取れるようにしよう、という考えに賛成できない。

国はそういうものに関与すべきではないと思う。

国の役割は、正義の実現。つまり、犯罪を裁き、侵略を防止する。

個人の生命と財産を保全し、個人の生産活動をスムーズに成立させるために国は存在する。

これが聖書の国家観。

今のように、会社を始めて利益があがっても、半分税金でもっていかれ、その上に個人の所得と財産に税金がかけられるシステムは、国による個人の権利への侵害である。

20世紀以降の国家は、泥棒国家である。

それだけではない。

中央銀行制度によって、日銀と銀行に偽札を作る権限を与えているので、国民は無限に搾取されている。

端末に数字を打ち込むだけで、お金が作れるシステムがもし普通の民間企業がやれば、詐欺罪と偽札罪で逮捕される。

しかし、中央銀行や民間銀行がそれをやっても逮捕されない。

銀行は、自分が所有していないお金を貸して、それに金利を載せて返金を求めることができる。

だから、この大きな詐欺的権限によって、民間企業は、いつ破滅に追いやられてもおかしくないのである。

かくして、神がアダムに与えた「地を従えよ」との命令は、国と銀行によって大きく妨害されている。

この詐欺システムに気付くかどうか。

消費税増税などというのは、この詐欺システムの延命措置でしかない。

(3)
「働きたくない人は、食べてはならない」というのが聖書の労働観の基本である。

労働にはリスクが伴う。

3Kの仕事だけではない。投資をすることは大きなチャレンジである。

たとえば、温泉施設をオープンするためには、多額の投資をしなければならない。

企業家は、大きなリスクを背負って事業を始める。

だから、事業が成功したときには、普通の人が稼ぐことのできない額のお金を稼いでいいのである。

しかし、共産主義は、妬みのシステムなので、このような企業家の収入にケチをつける。

労働者に平等に分け与えよと。

しかし、労働者は、投資のリスクを負っていない。

もし会社が倒産したら、労働者にまでは責任は及ばない。

だから、リスクを負わないサラリーマンなどは、投資家よりも給料が少なくて当然なのである。

人生は、リスクに満ちている。

リスクを回避しようとする社会は、全体がリスクの中に放り込まれる。

今の日本の「偽りのやさしさ」は、できるだけ失敗者を出さないように配慮する。

しかし、そのために、日本全体が失敗のサイクルの中に入ってしまったのである。

(4)
TVの討論会で、為末氏が、「国策で選手を育成すると、金メダルを取った人には手厚い報酬があるが、それ以外の人は、スポーツだけに打ち込んで潰しがきかないまま社会に放り出されるからだめだ」と言った。

それに対して中国人の評論家が「スポーツ選手は、リスクを負わないとダメなんですよ」と言った。

私は、中国人のほうが正しいと思う。

日本は社会主義になり、中国は資本主義になった。

それで今、中国のほうが成長している。

目を覚ませ。日本人!

国が何かをしてもらえるなんて期待していなかった頃のほうがはるかに活気があった。

努力する人の分を努力しない人に分配するなんて馬鹿なことをしていなかった昔のほうがよかった。

リスクを負う人の分をリスクを負わない人に分配するなんて馬鹿なことをしていなかった昔のほうがよかった。

社会主義、福祉国家は、幻想であり、利権の温床にしかならず、国富がどんどんと消失し、有能な人々がつぶされ、寄生虫が肥え太る。

そろそろ、システムそのものが間違っていたのではないかと悟るべき時期に来ているのではないか?

 

 

2012年8月5日





 

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