私はここで納税拒否を唱えているのではない。
クリスチャンは、納税すべきである。
現行のシステムに従うべきである。
人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。(ローマ13・1-2)
しかし、本来の政府のありかたは何かということを念頭において、それを将来、改革して行こうと言っているのである。
明治維新において設立された中央銀行制度は、政府に権力を過剰に与えることを目的とした「不公正な交換」に基づいている。
当時はまだ兌換紙幣であったが、紙幣である以上、水増しは避けられない。
戦争などでインフレが進むのは、政府が紙幣を乱発するからである。
ずっと不公平な交換が行われてきた。
政府は、社会の構成員の一部でしかない。
人々が集まって共同して生活を営むのが社会である。
その中で不正な利得を得る者がいれば社会は歪む。
それは、社会の病である。
社会では、みんなが公平な交換を行う。
納得ずくで交換を行うことによって、社会は豊かになっていく。
しかし、一部に過剰に不公平な交換を行う者がいる場合、社会は病む。
不換紙幣発行する組織が日本にあるということは、日本が病んでいると同義である。
政府が、国民と平等の立場に立つ「欺きのない」社会を目指そう。