(1)
毎日、ノルマを終わるまで気が抜けない。
スケジュールがタイトなので、1日の遅れは死につながる。
すかすかのページを選んでやっているが、それは麻薬と同じで、いずれびっしり文字で埋まったページが溜まることを意味する。
その頃は、単語をかなり記憶しているので、仕事の速度は速くなるのだが。
(2)
わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。(ヨハネ10・9)
イエスは、門である。
城壁都市であったエデンの園に門は一つしかなかった。
神との契約関係とそれに基づく永遠の命の祝福を受ける道は、イエス以外にはないということがわかる。
イエス以外の道を教えるあらゆる教えは悪霊の教えである。
いや、彼ら[偶像礼拝者]のささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。(1コリント10・20)
アダムとエバが追い出されてから、そこにはケルビムと回る炎の剣が置かれた。
こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。(創世記3・24)
ケルビムは、ケルブの複数形である。
だから、天使が門の両脇に立って守衛の役割を果たした。
この回る炎の剣とは、太陽を表すのだろう。
太陽はイエス・キリストの象徴である。
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。(ヨハネ1・9)
したがって、エデンの園の前に置かれていた回る炎の剣とは、イエス・キリストを表す。
このイエス・キリストを通じてでなければ、エデンの園に入ることはできない。
エルサレムの城門の上に刻まれている菊紋は、イエス・キリストを象徴している。
https://encrypted-tbn1.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcRbAwtavcthD_ZbSOIj6F0xJMeV3IjkQTXV4UGyC-fzgOTME_rqrg
門のところにいるケルビムと菊紋は、洪水後も、古代の諸文明に影響を与えたシンボルである。
バビロニアのイシュル門に現れている菊紋。
http://earthpeace.img.jugem.jp/20121103_181735.jpg
宗像大社の門は、菊紋が扉に描かれている。
http://www.yado.co.jp/tiiki/munakan/taisya/taisya64.jpg
ちなみに、チェコにあるユダヤ教のシナゴーグに黄金の菊紋と六芒星が現れている。
http://millnm.8m.com/phileo/assets/images/ehagaki.jpg
古代宗教の大本には「エデンの園への回帰」という動機があるように思える。
しかし、それは現代でも同じである。
すべての宗教、思想は、「失われた楽園の回復」を求めている。
ただ、方法が、イエスを通してではない。
そのために、サタンに利用され、最後には地獄が待っている。
(3)
サタンは巧妙であるから、われわれは知らず知らずのうちに別のメシアを求めて、道から外れる。
注意していただきたい。
どんなに賢明な人でも、聖書からずれるならば、必ずサタンに地獄に連れていかれる。
サタンは人類を5000年騙してきたベテランであり、われわれを滅ぼすことなど朝飯前である。
聖書への疑い、私的解釈は、永遠の命を失う第一歩である。
聖書に対する自分の思想の読み込みは、滅びに至る。
聖書は、不動の礎として厳然と存在する。
われわれはそこから学ぶのであって、そこに何かを付け加えてはならない。
イエス以外には、道は存在せず、われわれはイエスという門を通じてのみ救いに至る。