天に属する人らしい話をしよう
他のサイトで私について何を書いてあるか報告する人がいるが、何度も言っているように、どうでもいいことなのです。
選ばれていない人は、いくら説得しても無理です。
私は、自分が孤立するかどうかなんてどうでもいいと思っています。
支持者が一人もいなくなっても、それが主の御心であるならば、大成功です。
神がなさることをただやっていればいいだけのことで、人がどう思うかはどうでもいい。
もし孤立することが失敗であるなら、預言者はみんな失敗者です。
エリヤは失敗者。バアルの預言者は大成功です。
キリスト教界で孤立するかどうか、他の教団とか牧師、信徒からの評価はどうかなんて問題は、雲の下の世界の話で、われわれクリスチャンは雲の上に住んでいて世界の王座についているのですから、いくら支援者が減って孤立したとしても、それは、人間側から見た「成功不成功」の話です。
伝道は人気を取るためにやるものでも、支持者を増やすためでもないです。
自分に支持者が一人もいなくても、神の一存であるときに他の伝道者によって一挙に世界が変わることもある。それでいいわけです。
重要なのは、神が自分をどのように評価しておられるかです。
懸命に伝道して一人も回心者が現れなくても、それが神の決定であるならば、自分として大成功。
「ことは、人間の努力によるのではない」とあります。
人間がいくら努力しても、聖霊による回心はまったく別の次元の問題です。
それは、神の選びの問題であるので、われわれの側ではどうしようもない。
われわれの側では、ただ伝えるしかない。
そして、反応して、回心する人が現れれば感謝ですが、現れなくても「それが神の計画なのか」で終わりです。
「一人で何やってるの?バカじゃないの?」と思われてもどうでもいい。
事実、集団によってはそう思われていますが。
そのグループや教えがどれだけのものであるかを測る基準は、人数でもなければ、社会的地位でもない。
ただ、「聖書的か」です。
聖書的であれば、いずれ勝利する。
聖書的でなければ、いずれ敗北する。
単純です。
聖書的ではない「ものみの塔」などがいくら大きな勢力になっていても、どうでもいいことです。
彼らは聖書的ではないので、永遠に滅びます。
そんな団体のことを羨む必要はまったくない。
こういうことを気にするのは、フラーの教会成長学で「人の目を気にせよ」と教えられた哀れな神学生や牧師でしょう。
(2)
私たち神の国建設のグループが必要なのは、中途半端な人ではなく、徹底した信仰の人です。
聖書に忠実な人が必要です。
そういう人が少数集まれば、大きく変わります。
感情で動くようなぐらぐらした人たちが多数集まっても何も起きません。
私が核心をついたことを言うたびに支援者が減ると書きましたが、減ることはかえっていいことです。
「まず第一に、あなたがたが教会の集まりをするとき、あなたがたの間には分裂があると聞いています。ある程度は、それを信じます。というのは、あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです。」(1コリント11・18)
こういう過程は聖めであって、後退ではない。
真理を伝えたために、30年やって、振り出しに戻って、ゼロになってもいいです。
神の国は、神が石ころからでも起こせますので。
2013年5月17日