神の国は異端との戦いの中で発展する



イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。
麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現われた。
それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』
主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』
だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。
だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」(マタイ13・24-30)

1.

天国、つまり、神の国とは、善人と悪人の混在する場所である。

紀元70年に世界はキリストの王国となった。

キリストは天においても、地においても、一切の権威が私に与えられた、と言われた。

それゆえ、この世界は、神の国となった。

この世界において、次の過程が繰り返される。

(1)善悪の混在

(2)善と悪の分離

(3)善と悪のそれぞれの成長

(4)悪に対する審判

このサイクルが繰り返されながら、世界は徐々に聖化され、本当の神の国と変わっていく。

下水道の翻訳をしたことがある。

下水の浄化は、分離(分画)によって進む。

大きなごみは、沈殿によって分離される。

上澄みだけを次の工程に回し、沈殿物を排除する。

その上澄みは、ろ過や、化学処理によって純化され、最後に河川に放流する。

神の国において、時間が重要なのは、悪人の正体が明らかになるには時間がかかるからである。

悪人は、どんなに牧師や宣教師としての仮面をつけていても、時間とともに正体を明らかにする。

人を判断するには、即断は禁物である。

その人がどういう行動をするかをじっくり見なければならない。

どういう実を結んでいるか。

同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。(マタイ7・17)

行いが悪ければ、その人の本質が悪いのである。

出来心で罪を犯すのではなく、長期間にわたって、計画的に罪を犯すような人が善人であるわけがない。

このような人々は、必ず裁かれて、排除される。

神は悪を放置される方ではない。

必ず裁きを実行される。

2.


収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。

神はまず悪人を集められ、束にされる。

悪人が集団を作ったならば、それは、表面的には自発的に行っているように見えるが、実は、神の導きなのである。

背後で神が働かれ、善人と区別するために集められるのである。

組織の中に異端の分派が生じたら、悪人をまとめて処分するために神が集められたのである。

それゆえ、悪人の集まりができたら、組織がさらに高い段階に向かう前兆であると考えるべきである。

悪人の集まりはその後、神の手にかかって、丸ごと裁きを受けて滅びる。

悪人がいなくなった組織はさらに神の御心を行うことができるようになる。

教会は、このようにして異端を排除し、教理的に成長してきた。

時間がたつと、また新たな異端が生まれるが、その異端を排除する過程で教会は聖書の教えを厳密化することができるようになる。

 

 

2016年5月14日



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