ヨルダン川を渡れるか


再建主義にかかわることは、他のキリスト教の団体とかかわることとまったく別である。

再建主義は、キリスト教の本質中の本質を突いている。

だから、サタンは再建主義にかかわった人々を猛攻撃する。

そのため、社会的・経済的・精神的・肉体的にダメージを受ける人がいる。

しかし、これまでみな回復した。

ある人は、最終段階のうつ病にかかった。

これ以上強い薬がないというところまで悪化した。

しかし、超自然的に回復して、正常に戻った。

これは、荒野である。

神の国カナンにたどり着く前に、まず荒野を渡らなければならない。

クリスチャンの行程には、必ず「祝福の前に呪い」がある。

紅海→荒野→ヨルダン川→カナン

すなわち、

回心→試練→信仰→約束の成就 の順番である。

「紅海を渡る」は、血をくぐる。すなわち、イエスの犠牲によって救われること。クリスチャンになること。

「荒野を渡る」は、人に頼らず、神の御言葉にのみ依存すること。何もない砂漠でもマナによって生きられることを学ぶ時期。

「ヨルダン川を渡る」は、信仰によって勝利を確信すること。この手前で、カナン人を見て恐れ、退いた人々は荒野で滅んだ。

「カナンに入る」は、約束の祝福を手に入れること。

紅海から一気にカナンに入るかのように考えている人は、大きな誤解をしている。

「クリスチャンになれば、バラ色の人生が始まった!」と教える人がいるが、間違いである。

聖書ではそんなことどこにも書いていない。

聖書が教えているのは、「クリスチャンになったら、それまで自分が支えとしてきた自信やプライド、社会的地位、健康、金銭、家族など役に立たないところに追い込まれる」ということである。

あなたが頼っていたものは、すべてガラガラと音をたてて崩壊する。

あなたは、天から降ってくるマナ以外の何も食べるものがない砂漠の中に放り込まれる。

自分や友人、家族、教会に頼っていた人は、精神的に追い込まれる。

私は、教会もクリスチャンも誰もいないソ連に送られて、完全に孤独になった。

ぎりぎりのところで救われた。

精神が崩壊する寸前で神が救いの御手を指しのばしてくださった。

この体験は、友人やら教会員やらの仲間がいる日本では味わえなかっただろう。

荒野の訓練が終わった後でも、「ヨルダン川」の試練がある。

現在、ほとんどのクリスチャンは、この手前で逡巡している。

斥候を送ってカナンの人々を調べたら、背の高い、ガタイのよい人々ばかりだった。

イスラエル人は、「だめだ。カナンを征服などできない。ああ、われわれはここで滅びるのだ!モーセを殺してエジプトに帰ろう!」と言った。

彼らは荒野で滅び、ヨルダン川を渡ることができなかった。

渡ることができたのは、ヨシュアとカレブだけだった。

彼らは斥候の報告を受けて「できる。やりましょう!」と言った。

イエスが「天地万物一切の主権者になった」「世界を征服した」と宣言されたにもかかわらず、「いや、世界を征服なんてできるわけがない」としり込みしている人々がほとんどである。

ヨルダン川を渡るという神の命令をごまかすために、いろんなどうでもいい行事や教えに拘泥している。

今の教会のほとんど99パーセントがディスペンセーショナリズムになってしまった本当の原因は「ヨルダン川を渡るのを恐れている」ことにある。

「え?地上を神の国にする?戦わなければならないんでしょう?そんな教えよりも、切迫再臨のほうがいい」と。

携挙は、ヨルダン川の渡河を回避するための作り事である。


しかし、おくびょう者…の受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」(黙示録21・8)

ポスト・ミレでなければ滅びる。

いくら教会に通っていても、無駄。

「地を従えよ」と命令されているのだから。

臆病による命令の意図的無視、回避は、滅びに至る。

ヨルダン川を渡れるか。

渡ることを逡巡すれば荒野で滅びるだけだ。

 

 

2015年9月2日



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