神の導きにより危険を回避してきた


不思議に思うのは、自分が、危険から常に遠ざけられてきたということである。

87年ごろ、大和に派遣されて伝道していたときに、本部教会で会堂建築問題が起きた。

木造建築物で3階を建てることは違法であるにも関わらず教会が増築をした。

それに対して信徒側から「教会が法律違反をやっていいのか」という疑問が起きた。

そして、誰かが役所に密告して問題が公になった。

こういう騒動から守られた。

90年に長老罷免問題が起きたのも、私が教会を辞めた後だった。

次の教会では、牧師が異端になりフェデラル・ヴィジョンを信じるようになった。

93年当時、フェデラル・ヴィジョンについて知識がなかった

「ラッシュドゥーニーは、正式な教会ではないところで礼拝しているので、礼拝していない」と言いだして、「おかしいことを言い始めたなあ」と思っていた。

徐々に教会制度に異様なこだわりを見せるようになり、それまで自由参加(もちろん信仰者であることが条件)だったのが、聖餐式に出席する際に牧師と長老がチェックするとさえ言い始めた。

結局、英国国教会ダラム大聖堂の元主教N・T・ライトの思想に感化されて高教会制度に傾いたのが原因だった。

つまり、再建主義ではなくなったのだ。

そんな教理的な立場の変化を知らずに、違和感を覚え「ここから出るべきだ」と思って出た。

正解だったということだ。

出た後も手紙が届き、「教会の正会員になりなさい。自分で伝道を開始するなど認めない」と記されていた。

行為義認を信じ、信仰だけでは救われないと説き、ローマ・カトリックとの合同をよしとするN・T・ライトや、N・T・ライトの影響を受けているフェデラル・ヴィジョンに従うような牧師の言葉に権威があるはずもない。

だいたい、私を教会に誘ったときに、「福音派の教会で拒否されることに何の意味があるのですか」と言った人である。

今の教会はほぼ100パーセント、ディスペンセーショナリズムに汚染されているので、戻る気はさらさらない。

N・T・ライト主義になったら、ディスペンセーショナリズムになったのと同じ結果を生じる。

つまり、タルムードユダヤ化である。

ローマ・カトリックとの合同は、イエズス会とのそれと同義である。

イエズス会は、隠れタルムードユダヤである。

ディスペンセーショナリズムは、イエズス会士フランシスコ・リベラとエマニエル・ラクンザの作である。

本当の信者が行くべき教会はほぼなくなった。

稲野先生の静岡聖書神の国教会だけである。

このように、私は不思議と危険を回避してきた。

これも主の導きだった。感謝している。

 

 

2015年12月4日



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