インターネットで情報を得る心構え


ある出版社がオウム関連だという説がある。

たとえそれが事実だとしても、私は、その出版社の本を読む。

なぜならば、どのような出版社でも、主張する部分に真理がないとは言えないから。

私は、フリーメイソンの著者の意見を聞く。

なぜならば、フリーメイソンだからすべて間違っているというわけではないので。

今の医学界は、進化論、ヒューマニズムである。

神を前提としていないので、反キリストである。

しかし、われわれは、医学の知識を利用する医者を回避しない。

なぜならば、その中にも真理はあるから。

厳密な学問的な手続きを踏んで述べられた説には、正当性があることが多い。

全部まるまる信じるということはしない。

それは誰もしていないだろう。

それと同じように、どの出版社の背景が何かということが、そこから出ている書籍がすべて間違いであり、捨てるべきとは言えないのであるから、その良い部分を抽出して取り入れることは違法ではない。

では、私がよく○○はフリーメイソンだと指摘して問題視するのはどうなのか、という質問をするかもしれない。

私がある人の背景をあげて問題視するのは、その人を全否定するためではなく、その人の言説はひも付きであるかもしれないし、その人の意見に何か隠れた目的があるかもしれない、と警告するためである。

ビリー・グラハムがフリーメイソンである可能性は高いが、それだからと言って、彼を全否定しろと言っているのではなく、彼が福音を語った場合には、その「部分だけ」正しいので取り入れることができる。

私は民族差別主義者ではない。

朝鮮・韓国・中国人に対して、全否定するつもりはまったくない。

ただ、ある「傾向」があるから警戒している。

問題は、その民族全体にあるのではなく、その民族の現時点における何らかの目的、野心、その他にある。

だから、私が反中国、反韓国、反北朝鮮、反在日発言したからと言って、民族や国を全否定したと考えないでいただきたい。

私には多数の中国人や韓国人の知り合いがいる。在日の友人もいる。

彼らはよい人々である。

日本人だから全部いい、というつもりもまったくないし、外国人だから全部悪いというつもりもない。

私が受験時代に、思考訓練をして利益があったと思うのは、本質とそうではないものの区別ができるようになったからである。

とくに数学を勉強したことは私にとってよかった。

数学の問題を解くためには、題意を読み取らねばならない。

「この出題者は、われわれに何を求めているのか。どの公式を使えと言っているのか」と読み取らねばならない。

大学入試の勉強が有益なのは、こういうものの考え方を訓練してくれるからだ。

私がベンジャミン・フルフォードのニュースレターを購読し、中丸薫や飛鳥昭雄諸氏の著書を読むのは、彼らの情報の中から有益なものをピックアップするためである。

彼らの信者になろうとは思わない。

ある時は、彼らを認め、ある時は否定したとしても、首尾一貫していないということにはならない。

われわれが扱っている問題は、教科書に載るような「確立した情報」ではない。

本当か嘘か判定が難しいものばかりである。

だから、トライ・アンド・エラーの連続で、次第に真理に近づくことができればいいと考えている。

もしそういう情報では満足できず、確立したものがほしいのであれば、インターネットで情報を得ることをあきらめなければならない。

学界で確立された論だけを信用するということになるが、それならば、インターネットをやっている意味がない。

インターネットが有益なのは「常に正しい見解を聞ける」とか「常に確実な人間に会える」ということではなく、「玉石混交の意見の中から自分が頭で取捨選択し、見識を広げる」ことにある。

その点をご了承いただきたい。

 

 

2014年12月21日



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