アブラハムがモリヤの山の上で自分の息子イサクを犠牲として捧げようとした。神の命令があったからだ。
神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」(創世記22・2)
なぜ山の上なのか。
山の上は至聖所だからだ。
至聖所において犠牲の血を捧げる。これは、幕屋の礼拝において祭司が行うもっとも中心的な儀式だった。
祭司は、至聖所の契約の箱に犠牲の血を注いだ。
神は、やぶに角がからまって動けなくなった山羊をイサクの身代りにささげよと言われた。
キリストによる犠牲を指している。
キリストの犠牲の血は、至聖所である山頂で捧げられなければならなかった。
長野の諏訪に守屋山がある。
そこでアブラハムのイサク奉献とそっくりな儀式が行われる。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/096suwa.htm
山は、神の御神域を象徴するという信仰は日本古来からある。
おそらくユダヤ人の影響だろう。
ピラミッドは山の象徴であり、すなわち、犠牲を捧げるべき聖所を象徴している。また、神の臨在を象徴する。なぜならば、山は神がおられる場所だから。
私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。(詩編121・1)
ピラミッドの最初の建設者イムホテプ、つまり、ヨセフに、このような信仰があったのだろう。
われわれは、ピラミッドを見るときに、それを幕屋・神殿の先駆形態、そして、神の国の象徴として見るべきだ。
世界は、2つのピラミッドの間の戦いである。
神のピラミッド――神の国と
サタンのピラミッド――悪魔の国。
サタンのピラミッドの特徴は、キャップストーンがプカプカ浮いていることだ。
だから、サタンのピラミッドは本当は台形ピラミッドなのだ。
サタン教は別名「台形の宗教」と呼ばれている。
今われわれの周りを見ると、サタンのピラミッドがあふれている。
ピラミッドと目。
世界は、このサタンのピラミッドに征服される寸前である。
われわれは、ここから逆転しなければならない。