(1)
https://www.youtube.com/watch?v=opbryiIc9D4&feature=share
このビデオに出てくる御頭祭(つまりミサクチの祭り)では、75頭の鹿がささげられた。
それは、子供の犠牲としてである。
神官が子供を犠牲にしようとしたところに別の神官が現れて、その儀式を止める。
その代わりに鹿を捧げる。
アブラハムのイサク奉献の物語そっくりだ。
しかも捧げられる中心の山は、守屋山。
アブラハムがイサクを捧げようとした山もモリヤ山。
天皇が大嘗祭の時に着る荒布は、「あらたえ」といい、鹿服と書く。
http://www.millnm.net/qanda4/22UuOoOrFZyE50163.htm
日本に羊がいなかったので鹿が利用されたとすれば、鹿服とは、羊の服。
クリスチャンは、イエス・キリストを着る。
主イエス・キリストを着なさい。(ローマ13・14)
クリスチャンは、犠牲の小羊であるイエス・キリストを着ることによって自分の罪を神の目から隠すことができる。
アダムとエバが作ったいちじくの葉では役に立たない。
神が備えてくださった毛皮を着ないと神の目から罪を隠すことはできない。
つまり、天皇が大嘗祭において鹿服を着ることは、クリスチャンになったと同義である。
(2)
日本仏教は、秦氏によって作られた。
空海、法然、親鸞、みな秦氏だ。
だからキリスト教に似ている。
空海は、中国でバプテスマを受けている。
景教のお坊さんから灌頂を受けて帰国した。
自ら天皇に灌頂を授けた。
真言宗での「仏と人とを結びつける」儀式は、この灌頂である。
それは結縁灌頂(ケチエンカンジョウ)といわれ、広く仏縁を結ばせる、仏様と人とを結びつけるため
出家した人だけでなく一般の人にも行われました。灌頂という文字から分かるように頭に水を
灌ぎかけるのです。
http://homepage3.nifty.com/eternal-life/preachings2005/06.03/03.15.htm
バプテスマは、神と人を結びつける儀式である。
明らかに景教の影響が見える。
高野山になぜ大秦景教流行碑があるのか。
空海の仏教とは、実は景教なのではないか。
空海は、剣山を中心に四国八十八か所を設定したという。
そのどの位置からも剣山は見えない。
剣山は、もともと鶴亀(つるき)山と書いた。
鶴と亀は、それぞれ伊勢神宮の伊雑宮と籠神社の象徴で、八咫烏によるとこれらの神社は阿吽を表す。
阿吽とは、「あ」と「ん」であり、ギリシャ語に置きかえると、アルファとオメガになる。
もちろん、アルファとオメガは、イエス・キリストを表す。
わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。(黙示録22・13)
空海は、剣山がイエス・キリストの山であることを知っていたのではないか。
そして、伊勢神宮がイエス神宮であることも。
だから、剣山と伊勢神宮を結ぶ直線上にある高野山を選んだのではないか。
(3)
先祖代々、大嘗祭に鹿服を献上してきた阿波の三木家の当主が、「先進文化を持っていた民族がまず徳島に住んだ」と言われた。
http://www.millnm.net/qanda4/22UuOoOrFZyE50163.htm
おそらくユダヤ人だろう。
なぜ徳島を選んだのか。
山のふもとだからだ。
ユダヤ人は山のふもとに住む。
なぜならば、聖所だからだ。
山は神の住まい。つまり、至聖所。
神の民、諸国民に対して祭司の民であるユダヤ人が、聖所を選んで住むのは当然のことだ。
剣山を神の山と考えたユダヤ人が、そのふもとである徳島に住んで、そこから畿内に移り住んだ。
近畿の地名と徳島の地名が同じ(*)なのは、同じ民族が住んだから。
ヨークという地に住んでいたオランダ人がニューヨークを作った。
ポツダムという町がアメリカにもある。
私はおそらく、そのユダヤ人たちは、淡路島を通って、神戸に出てから、畿内に移動したと考える。
なぜならば、聖所→庭→門の順番にではなければ、礼拝者は外に出られないから。
契約の民は、門から入り、門から出る。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。(ヨハネ10・1)
淡路島は、幕屋の庭の参道である。
神戸は「神の戸」、つまり、鳥居。
ユダヤ人は、四国を神聖な島と考えていたのだろう。
それはエデンであり、エデンの中心に山があったように剣山を神の山と見ていたのではないだろうか。
そして、ニギハヤヒから政権を譲られる前に、神の前に立って承認を受けたのではないだろうか。
日本を神の国とするには、まず神の前に出なければならなかったということなのか。
(*)
山城、伊賀、大阪、河内、勝浦など近畿にある地名は、徳島にもある。