先人の遺産を学ぼうとしない人はキリスト教について語るな
宗教者は思考停止している、という人がいるが、実際は、そのようにいう人が思考停止している。
宗教はそんな甘いものではない。金儲け宗教の場合はともかく、きちんとした歴史のある宗教は、それなりの深い研究がない限り、正しい理解は得られない。
たとえば、高校の倫理社会の教科書ですら、キリスト教について「まったく」理解していない。的外れな記述ばかりである。
プロテスタンティズムについて重要な論文を書いたあのマックス・ウェーバーですら、キリスト教については正しく理解したとは言えない。
専門分野については、その専門の人からきちんと話を聞いて「内部情報」を得なければならない。単に「外部から見て得られた情報」では理解できないことが多い。
簡単に意見を披歴できるネットの世界では、キリスト教に対する誤解と偏見が普遍的にみられる。
日常生活の簡単な描写や考えを述べるぶんには問題はないが、宗教や思想に関して十分な知識もないのに意見を述べると、専門にやってきた人から返り討ちにされるから要注意。
たとえば、ある無神論者が「死後の世界はない」と発言するとする。
すると実証主義者から「データを集めることのできる現象界については、科学的検証は可能だが、それができない叡智界については、科学ではどうやっても知識を得られないはず。あなたはどうしてそう言えるのか」と突っ込みを入れられる。
思想史を踏まえないと無駄な議論になる。「それは3世紀も前にすでに議論されていますよ」と突っ込まれるようなレベルの人とは話し合う意味がない。
ヒューマニズム側からのキリスト教批判は出尽くしている。
それに対して、ヴァン・ティルをはじめ優秀な学者たちによってきちんと弁証が行われている。
こういう先人の遺産を学ぼうとしない人は、くだらないレベルでぐるぐる回ることになるので、人生を無駄にしている。
2017年1月14日
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