黙示録の構造
黙示録は、預言書であり、預言書として解釈しなければならない。千年王国の千年を文字通りの1000年と解釈しなければならないと説く人々がいるがそれならば、「太陽を着て月を踏みつける女」も文字通り起こると考えなければならないということになる。
旧約聖書の表現が象徴的であるように、預言書を解釈する方法に基づかねばならない。
聖書全体が契約の書であり、神と選民であるクリスチャンの契約を扱った書物であるように、黙示録も契約の書である。
図のとおり黙示録は、5条件の契約の構造に基づいて解釈すべきだ。
http://www.millnm.net/qanda3/rev.html
1.超越(と内在)
1〜3章において、超越的存在として描かれたキリストが登場する。
神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
たちまち私は御霊に感じた。すると見よ。天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、
その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、緑玉のように見える虹があった。
また、御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老たちがすわっていた。
御座からいなずまと声と雷鳴が起こった。七つのともしびが御座の前で燃えていた。神の七つの御霊である。
御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。
第一の生き物は、獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空飛ぶ鷲のようであった。
この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に来られる方。」
また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、
二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。
「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(黙示録4・4-11)
どのような人の死体にでも触れる者は、七日間、汚れる。その者は、三日目と七日目に、汚れをきよめる水で罪の身をきよめ、きよくならなければならない。三日目と七日目に罪の身をきよめないなら、きよくなることはできない。(民数記19・11-12)
2014年11月7日
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