中間種の証拠がないので進化論は欠陥理論
化石に関して、ハーバード大学の地質・生物・科学史教授で、現代の進化論科学界きっての反創造論の論客であるスティーヴン・J・グールド博士は、次のように述べてすっかり兜を脱いでいる。
「新しい形態学的デザインの起源に関しては、化石の記録はまったく頭にくるほど情報を提供してくれない。通常、より高次の分類群が、明確な先行生物や発端段階もないまま、いきなり化石として出現するのだ」(『個体発生と系統発生』1977年)
化石は中間種の存在を証明していない。
本当に進化があったとしたら、現生生物の直前段階のものが多数共存しているはずだが、まったくない。
京大名誉教授日高敏隆氏が述べているように、種と種の間には、可変性というよりも不変性の壁があるのは実験でも確認されている。
日高氏曰く、「種のプログラムがいかに確固たるも のであるかは、実験形態学や実験発生学の研究によってますます明らかになってきた。…ニワトリならニワトリとして、雄ならどのような形になる、雌ならどの ような形になるということが、前もって厳密にプログラムされている。ホルモンはこのプログラムの進行にどうしても必要なものであるが、プログラムそのもの を変更することは決してできない。…実験形態学の進歩は、このような例をいくつも明らかにした。変えることを目指した実験形態学は、動物が変わらないこと を示す結果になった。…こうした事例をみてくると、われわれは二十世紀前半の、つまりこれまでの生物学がわれわれに与えてきた印象とはまったく反対に、種 とは変わらないものだという感じを強く受ける。種は進歩、発展を求めて次々と変化していくものであると、生物学では進化ばかりが強調されがちだが、それは むしろまちがっていたようだ。われわれは種の不変性にこそ注目すべきだったのだ。」(『動物の生きる条件』118〜124ページ。玉川大学出版部)
進化論者は、人間も含めて、現存する動物に進化の証拠を見ようとし、痕跡器官を挙げてきたが、ことごとく否定されてきた。
以前、解剖学が未熟だった18世紀ごろには、脳下垂体、扁桃腺、涙腺、親知らず歯、足の第3,4,5指 など、現在有用であると分かっている100もの器官を退化器官と見なしていた学者がいたが、科学的な研究が進んでくるにつれて、退化器官の数はどんどん 減って行き、現在では文字通り数えるほどしかなくなっている。
事実、ある進化論学者は、「不要な器官など1つもない。必要だからこそ存在しているのだ。 従って進化の証拠とは見なせない」(S・R・スキャディング『退化器官は進化の証拠になるか?』1981年)と完全否定している。
ヘッケルの有名な幼生図も、デッチアゲであることが判明し、「個体発生は系統発生を繰り返す」という説も否定されている。
ロンドンの聖ジョージ病院医学校のマイケル・リチャードソン博士が、専門誌「解剖学と発生学」の1997年8月 号で、ヘッケルの作成した「動物各種の幼生(胎児)のスケッチ図」を「科学的詐欺行為の最悪例のひとつ」と決めつける最終調査結果を発表した。
ヘッケ ルの描いた各種幼生の図(最上段左から、魚、山椒魚、亀、鶏、豚、牛、兎、人間)と対応する実物の写真(最下段、ただし人間は除外)とは、どれも似ても似 つかないことが歴然とわかる(http://www.millnm.net/qanda/foet.htm)。
おそらくヘッケルはヒトの幼生の実物しか見ていなかったのだが、自説を細部まで本物らしく見せかけるために、ほかの動物の幼生をヒトの胎児によく似せてでっちあげたのだろうと、リチャードソンは推理している。
われわれは、ヒトの初期の胎児に現われる鰓裂(鰓穴)は、祖先が魚類だった名残の証拠であるという話を聞かされてき たが、これは、完全な間違いで、正確には弓状の襞と溝にすぎない。
もちろん鰓としての機能もない。魚を含めてあらゆる脊椎動物の幼生 に存在し、魚の場合、成長につれてここに開孔ができ、鰓になるだけのものです。最近の専門家は誤解を避けるために、咽頭弓または咽頭溝と呼ぶようになって いる。
「医学生用の教本では『鰓裂』の話を一切なくし、その存在を否定している…ヒトの胎児に鰓はないので、『咽頭弓』という用語を使うべきである」(J・ラングマン『医用胎生学』1975年)
また、ヒトの胎児には「尾」に似たものが現われるが、これは昔から進化の証拠とされてきたが、それは本当の尾ではなく、脊柱の先端部分にすぎない。
胎児の成長の初期に発達するため突き出るが、ほかの部分が成長してくると最後には尾骨(尾てい骨)に変化すると いう。
このような発生反復説は、もうすでに長い間学界から葬り去られ、議論の対象ともならなくなっていた。進化論学者自身が次のように述べている。
現生種の幼生段階に祖先型を探すヘッケルの計画が失敗したのは…すべてこの生物発生則が基本的に誤りだからだ。19世紀末には、この計画はもうすっかり軽蔑の的になっていた…。(S・J・グールド『異時性』1992年)
生物発生則は完全に死んだ。1950年代にはついに生物学教本から一掃された。真剣な理論的探求の問題としては、1920年代にはすでに消滅していたのだが。(K・S・トムソン『個体発生と系統発生再論』1988年)
発生反復説は、19世紀末には軽蔑の対象となり、1920年代にすでに学問の真剣な研究課題としてはすでに死んでいたのにもかかわらず、われわれは学校などであたかもそれが事実であるかのように教えられてきた。
種と種の間になだらかな発展の過程があったと考えることはこのように実証的にも難しいだろう。それと逆の証拠が次々と出ているからだ。
本当に進化があったのなら、我々の肉体の至るところに進化のあとがなければならないのに、創造論でも説明のつくものばかり。
2016年1月17日
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