神のライバルとなる者の運命
神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2・15-17)
「そこを耕させ、またそこを守らせた。」
1.
人間は、労働を命じられた。
労働は、罪が入る前に与えられた命令であるから、刑罰として与えられたものではない。
労働者は、人間のあるべき姿である。
労働を避けると、人間は精神も肉体も病む。
人間は命が続く限り労働すべきである。
2.
アダムは、園を守るように命令された。
サタンの攻撃にあって、屈したときに、番人としての務めに失敗した。
人間は、サタンの攻撃から自分自身や自分の管理領域を守らねばならない。
「サタン?そんなおとぎ話を信じているんですか?」
現代人がサタンにすでにやられて、番人として失敗していることを示している。
われわれは、この歴史が元初からサタンとの戦いであると認識すべきである。
霊的な戦いを無視するキリスト教はキリスト教ではない。
福音派も改革派もサタンや悪霊との戦いを軽視する傾向があるが、相当な欺きの中にいるとわかる。
どのような職業であれ、われわれはサタンの攻撃にさらされている。
どのような組織であっても、ひそかにスパイを送り込まれる。
イエスの弟子たちの中にも一人スパイが送り込まれた。
ユダである。
誰もかれも信用してはならない。
とくにリーダーには、スパイを見抜く目が必要である。
会社を乗っ取ろうとする人、破壊しようとする人、騙そうとする人を見抜けない社長は愚鈍である。
知り合いの医師は、自分が建設した老人ホームにスパイが侵入したことを見抜けなかった。
あるとき、草むしりしている若者に気づいた。
「何をしているの?」「お手伝いをしたくて。」「それは助かります。」
こうして彼を招き入れてしまった。彼は、県議会議員と県庁職員が結託してホームを乗っ取るために送り込まれた工作員であった。
首尾よく信用させて事務の仕事に就いた。
内部資料をもとに、使途不明金があると訴え、警察に顔のきく有力国会議員を利用して警察の捜査を実施させた。
建物を奪われることはなかったが、この医師は裁判費用で自分の財産のほとんどを失った。
3.
「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。」
神が創造されたものは、思いのまま食べてもいいのである。
食べ物を禁止する禁欲主義は、非聖書的である。
旧約時代における食物規定は、霊的な原理「清いものと汚れたものの区別」を教えるための道具であり、新約時代においてキリストという本質が現れてからは、廃止された。
新約時代における食物規定は、「神の栄光のために食べるならば、清く、そうでない場合は汚れる」という動機の問題になった。
何か特定の食物を禁じるのは、悪霊の教えである。
しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。
それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、
結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。
神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。
神のことばと祈りとによって、聖められるからです。(1テモテ4・1-5)
「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。」
禁酒、禁煙、コーヒーの禁止、特定の動物の肉を食べることを禁止する教えは「惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れ」た人々によって唱えられる。
ヒンズー教では、牛を食べることが禁止されるが、祭りの際に、ジャガーノートという山車の下敷きになると天国に行けると信じた人々がたくさん飛び込んで死んだ。
夫の火葬の火の中に飛び込む未亡人は貞淑だと賛美され、多くの女性が焼け死んだ。
宗教は、教えが悪魔的になればなるほど、食物規定が厳格になる傾向にある。
つまり、悪霊の惑わしにあるので「くだらないことで厳しく、大切なことがいい加減」になるのである。
健康など、正当な理由以外の食物制限は「善悪のバランス感覚を失った精神」の産物である。
4.
「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。」
人間は、善悪を勝手に定義してはならない。
この点において、聖書は厳格である。
神は超越者であり、人格的被造物である人間に対して善悪の基準を一方的かつ絶対的に宣言する権利がある。
いくら貞潔を装っていても、善悪を聖書に基づかず勝手に決める教師は、反キリストである。
いくらキリスト教の看板を掲げていても、同性愛を許容したり、死刑制度に反対したり、侵略戦争、盗み、乗っ取りなどを肯定するならば、それは、反キリストの組織である。
「われわれにとって誰が主権者か?」と絶えず自問すべきである。
国家や会社、あらゆる組織は、独自の法律や規範を制定する場合に、たえず聖書的根拠を確認しなければならない。
聖書に基づかない社会慣習を押し付けるならば、その組織は逸脱しているので、神の裁きの対象となる。
5.
「それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
善悪を勝手に決定し、聖書に基づく批判を拒絶し続けるならば、どのような組織でも、どのような人間でも「必ず死ぬ」。
善悪に関する逸脱の報いは、永遠の刑罰である。
聖書に記されている神の法を無視する人にまで救いは及ばない。
なぜならば、主権者である神を拒否して、自分の王国を作ろうとしているからである。
神のライバルとなる者は、サタンと同類であり、絶対に許されない。
2017年4月5日
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