キリスト教は法的・契約的である
いつかもご報告しましたが、日本にFV(フェデラル・ヴィジョン)シンパが意外と多いようです。神学的本質がわかっているかどうか疑問ですが。後最近思うのですが日本人は「契約」という概念が稀薄なのではないでしょうか?特に終戦後さらに最近は。
FVは、行為義認を教えているので、大変危険です。契約について正しく日本で教えている先生はいないと思います。こういう一番重要なポイントがスルーされ、FVのような間違いにシンパが現れる。まさしく病的です。
神学的な意味でなくても「契約」概念が弱いのではないでしょうか?だから余計にカルヴィニズムが理解出来ないし、すぐ拒絶反応を起こすのも。また普遍救済や皆餐などの異端に流れやすいのも。
契約というと「愛ではない」という連鎖反応があると思います。日本人の悪いところです。法的な概念に弱い。聖書は最初から法的です。神ご自身が法的存在であり、神と人間の関係も法的です。宇宙は自然法則によって成立している。だから、キリストの贖いも法的であり、厳密さが要求される。キリストが「完成した」と叫ばれたのは法的な宣言です。
2014年5月16日
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