日本は栄光のイスラエルの回復では?2


もちろん、新約時代において、教会は「神のイスラエル」であり、礼拝場所は特定の土地に限定されない時代なので、イスラエル民族だけが神の民とは言えない。


どうか、この基準に従って進む人々、すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。(ガラテヤ6・16)
イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。(ヨハネ4・21)

民族を越えて、すべてイエス・キリストを信じる人々は神の民である。

私がここで述べているのは、そういう普遍的な超民族的経綸についてではなく、旧約聖書において神の民として育てられたユダヤ人の運命についてである。

紀元70年におけるイエスの来臨の際に、ユダヤ人は「羊系」と「山羊系」に分けられた(マタイ25章)。

イエスを信じるユダヤ人は羊系であり、イエスを拒否したユダヤ人は山羊系である。

山羊系はユダヤ戦争の際に滅ぼされた。

わずかに残った人々もバルコクバの乱の際に世界に散らされ、パレスチナの地を追い出された。

彼らはタルムードを信じて悪魔にしたがい、現在イルミナティを通じて世界政府樹立のために活動している。

では、救われたユダヤ人である羊系はどこに行ったのだろうか。

もちろん、世界各地において初期の教会の中心として活躍した。

しかし、あくまでも神の民族的救いは「集められること」であり、散らされた状態は呪いである。

クリスチャンのユダヤ人たちは、どこかに集められていたはずである。

私は、民族的イスラエルはイエスを王として紀元一世紀に回復したのではないかと思う。

プレ・ミレの人々は、イスラエルの回復は未来に来るというが、ポスト・ミレの人々は、それは過去に成就したと考える。

なぜならば、マタイ24章や黙示録におけるイエスの来臨は「わたしはすぐに来る」出来事であったはずだから。

イエスはもう紀元1世紀に来られたのだ。

となれば、イエスによる「南北朝統一」の結果は何か、という話になる。

イエスは世界に散ったユダヤ人を集めてイスラエルの栄光を取り戻すはずではなかったか。

十字架のイエスの頭上にかかげられた「ユダヤ人の王」という表札が、「イスラエルの回復と栄光の象徴」なのだ。

わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」(ヨハネ12・32)

十字架上においてユダヤ人の王となったイエスは、万人を自分のもとに集められた。

ユダヤ人は統一され、もはや北朝と南朝の違いもない。

異邦人もご自身の民となり、世界はイエスの支配下に入った。

われわれの肉の判断力は、十字架にかかった人を「王座につかれたメシア」とは見ない。

しかし、聖霊は彼を文字通り「ユダヤ人の王」と見せてくれる。

十字架において、世界は統一されたのだ!!

イスラエルは回復され、栄光を取り戻した。

イスラエルと異邦人もイエスのもとに統一された。

しかし、これは法的である。

実際的にはまだ分裂している。

イエスは十字架上において法的にユダヤ人の王となり、世界の統一者になられた。

実際にイエスが王になるのは、時間がかかる。

教会を通じて進展する神の国において、イエスは名実ともに王になられる。

ユダヤ人のクリスチャンたちは、紀元70年におけるイエスの来臨とエルサレム神殿の崩壊の後に、日本にやってきたのだろう。

それは、名実ともにイエスが南北朝イスラエルの王になるためである。

ユダヤ人の民族的な理想は、日本において成就していたのだろう。

 

 

2016年10月18日



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