中核となる事柄を抽出し、それをわかりやすく説明しようと努めている
1.
大学時代、石神井にある北海道人の寮に入ったら、私が生徒会長をしていたときに副会長だった中学時代の後輩O君が入ってきた。
驚くべきことに、彼はクリスチャンだった。
毎朝祈祷会をもって屋上で祈った。
その時、O君と一緒に開いていた聖書研究会に集っていた人が今、フェイスブックのともだちになっている。
フェイスブックでもガンガン、聖書からメッセージを流している。
高校時代の友人も友達になっている。
彼らは、今の私の姿に当惑しているかもしれない。
当時はあまり自己主張していなかったので。
2.
大手商社に勤めていた時代、一期上に大川隆法氏(当時中川さん)がいた。
他の人とは違う雰囲気を持っていた。
最初のモスクワ駐在時に、事務所があるホテルのロビーに無数の売春婦が集まることを知ってびっくりした。
2年後、再度モスクワ駐在の辞令を受けたが、誘惑に勝つ自信がなかったので辞退した。
ホテル内では、どこにいても、女性が近付いてくる。
その他にも、KGBはわれわれに女性を送り込んできて、ハニトラを仕掛けてきた。
幸い、一度もひっかかったことはなかった。
3.
学生時代、どの試験でも90点以上確実に取る技術を編み出した。
私の指導に従えば、学生諸君は、同じように必ず90点以上取れるだろう。
その秘訣は、
(1)予習は必ず行う。その際に、教科書の問題は必ず解くようにする。
(2)授業は一言も漏らさずに集中して聞く。
(3)復讐時に、カードを作る。教科書や授業の内容を虫食い問題にし、左側に書く。答えを右側に書いて、完全に正答が出るまで何度もテストする。
(4)それに関連する項目を市販の問題集を使ってマスターする。
大学時代、これをやって、必ず90点以上取った。
Yさんというロシア育ちの帰国子女よりも成績がよかった。
4.
大学卒業時に、方法論さえ確立すれば、どこにおいても最高の成績を残す自信があった。
会社に入っても、その自信はあったが、会社が余計な研修ばかりやった。
私は、社内で、将来の幹部候補であり、特別に研修が多かった。
いつまでたっても、本業の業務に携わることができない時間が長く続いた。
しかもOJTの指導員が要領を得ず、なかなか業務に直接携われない。
貿易の理論ばかり教え、実務を教えない。
そのうち、私は馬鹿なんじゃないかという評判が立った。
しかし、海外渡航者試験があり、部内の歴代一位を取ったので、見る目が変わった。
ようやく実務に携わることができるようになるとすぐに仕事を覚えた。
部長から新人研修を任せられ、実務マニュアル作成も命じられた。
5.
教会で牧師補として働くようになると、牧師になるために一年で5人洗礼に導くという条件をクリアした。
しかし、主任牧師はなぜか昇進を許さなかった。
私が再建主義を信じていたからだろう。
6.
高校時代、勉強よりも人生について考えることが多くて、学業に集中しなかった。
成績を伸ばす方法論を確立したが、それも途中でやめてGFを作って、毎日遊び歩いていた。
高校時代の遅れを取り戻すために、予備校に入ってからは猛烈に勉強した。
数学ばかりやり、5時間はやった。
英語と国語は模試の上位成績優秀者の常連だったが、数学が足を引っ張っていたからだ。
7.
翻訳のかたわら、アルバイトで大手予備校で10年間教えた。
なかなか方法論を確立できなかった。
それは授業の形式について。
「どうやったら、生徒にとって有益な授業ができるのか」について迷った。
個別の項目については、きわめてわかりやすい方法を確立した。
たとえば、仮定法については、「反実仮想の場合、時制を一つ前にする」など。
ロシア語も大手商社の企業研修生に10年くらい教えたが、ひたすらに格変化を反復練習する方法を確立した。
大手予備校でも看板講師として写真が出たくらいで、ある校舎ではほとんどの授業を任されていた。
商社での研修でも依頼主からは評判がよかった。
8.
私は、パフォーマンスはできない。
内容のあることしか教えられない。
冗談も飛ばせないし、人を笑わせる技術もない。
中核となる重要点を抽出してそれを提示することに集中した。
それ以外に興味がないのかもしれない。
だから、キリスト教についても、中核となる事柄を抽出し、それをわかりやすく説明しようと努めている。
2017年6月25日
ホーム