アブラハム・カイパー(1837年〜1920年)


19世紀後半から20世紀前半にオランダに生きたカイパーは、卓越した才能と優れた資質を備えた神学者であり、教会の指導者、哲学者、教育家、政治家、ジャーナリスト、文化分析家であった。数十年間、オランダで最も有名な人物であり、1901年から1905年までオランダの首相を務めた。そのずば抜けた能力から、人々から「ファーザー・アブラハム」や「強大なアブラハム」と呼ばれた。

ライデン大学で学び、特に影響力のあるリベラルな神学者J・H・ショールに師事したが、カルヴァンとポーランドの改革主義者ジョン・ア・ラスコの教会論を比較する博士論文を書いたときに、正統派改革主義思想に触れた。1863年から1867年まで牧師を務めたベエズドという町の教会に集う人々の信仰に強い印象を受けた。同時期に反革命政党の大立者ギローム・グロエン・ヴァン・プリンステラー(1801年〜76年)と文通をした。やがて、歴史的なカルヴァン主義者の単純な信仰の方が、学問的リベラルの学説よりも真理に近いのではないか、と考えるようになった。

1867年、ユトレヒトの教会に牧師として招かれた。1870年、アムステルダムに移り、宗教新聞『デ・ヘラウト』に寄稿した。1872年、自らの新聞社『デ・スタンダート』を創設した。これらのジャーナルにおいて、教会や政治および人間の生活のあらゆる領域に関して、キリストの主権を前提としつつ、自らの見解を述べ、発展させた。さらに、国家のいかなる干渉からも自由に意見を伝えるために、大学を設立した。これがアムステルダム自由大学である。同大学の神学教授として自らが着任する際に、就任演説において、自分の神学をこのように短くまとめて言った。


人間の精神世界のいかなる部分であっても、他から完全に密閉されているものは一つもない。そして、我々の存在のあらゆる領域において、万物に対する主権者であるキリストが「それは私のものだ!」と主張されない部分は一つも存在しない。

この点においてカイパーはカルヴァンの後継者である。カイパーの『カルヴァン主義』においてカルヴァン主義の歴史とそれが人間生活の様々な領域に及ぼした影響について説明した。章のタイトルは次のとおりである。「生活のシステムとしてのカルヴァン主義」「カルヴァン主義と宗教」「カルヴァン主義と政治」「カルヴァン主義と科学」「カルヴァン主義と芸術」「カルヴァン主義と未来」。カイパーの思想には、リベラル神学が示していた宗教的知識を科学の知識と対立させる傾向(現象界と叡智界、ヒストリエとゲシヒテ)や、ウィトゲンシュタイン的な、宗教用語と科学用語や歴史的証拠用語をはっきりと区別する傾向は全く存在しなかった。むしろ、カイパーにとって、宗教は人間のあらゆる企画や教えの基礎であった。

・・・

これらが全て進む中、カイパーは作家や教授、ジャーナリスト、そして政治家としての活動を続けた。政治家としては、反革命政党の中で昇りつめ、ついには1901年首相に就任した。政治家としての彼の主要な問題は「領域主権」であった。すべての権利を個人に由来するものと考える、当時人気があったフランス革命の主権や、すべての権利を国家に由来するものと考えるドイツの国家主権(20世紀のファシスト体制および共産主義体制の先駆けであった)を拒否した。カイパー曰く「権利は、神に由来し、神は権利と責任を個人や国家だけではなく、家族や学校やマスコミ、企業、芸術などの中間的な組織にも割り当てられる。これらの組織は、それぞれ特定の生活領域を有し、それぞれは、国家など、他の領域からの侵害から自由であるべきだ」。中世において「教会は国家よりも優れているのか、それとも劣っているのか」に関して広範な議論が繰り広げられていた。カイパーの見解は、このいずれでもなかった。すなわち「教会も国家も同等であるが、それぞれは、神のみ言葉に服従しなければならない。神のみ言葉は、それぞれが管轄する領域を支配する」と主張した。もちろん「それぞれの領域と領域の間の境界線を正確にどこに引くべきか」は難しいテーマであり、カイパーが最終的かつ徹底的な結論を出せるような問題では無い。

カイパーの見解では、(教会やシナゴーグだけではなく、ヒューマニストや社会主義者の団体も含む)すべての信仰共同体には、自前の学校や新聞社、病院などを持つ権利を含む、平等の権利が与えられるべきである。政府はそれぞれの共同体を平等に支援しなければならない。今日、合衆国において、すべての国民は税金によって、国家が後援し、世俗的なヒューマニズムに基づく価値観を吹き込む「公立」学校を支えなければならない。自分の子供クリスチャンスクールに送ることを望む両親は、税金の他にその学費をも支払わねばならない。もちろん、カイパー主義の政策はカイパー自身と同様に「宗教を教育から切り離すことができ、国家が支援する学校は宗教的に中立である」といった考えを拒絶するだろう。

そのほか、どのような人間の努力も教えも宗教的に中立ではありえない。科学も同様である。 3巻からなる著書『神聖な神学の百科事典』において、カイパーは「科学は『罪の事実』を考慮に入れなければならない」という持論を詳しく説明している。堕落の事実と「神が一部の人々を再生される」と言う事実は、「2種類の人々」が存在し、それゆえ「2種類の科学」が存在するという考えを必然的に導き出す。いずれの科学も、すべての事実に対して有効であると主張し、すべての人に当てはまると主張する点において「普遍的」である。これを理解した上で、神の知識の学問である神学は、あらゆる科学において中心的な役割を演じるのである。人間を扱う科学―すなわち、自然科学や医学、文献学、法学―は神学の営為に従うべきである。神学は「その研究の対象を、神の啓示された模写的な知識に求める」 。カイパーは後にさらに詳細に説明し「知識は無謬の聖書に基づかなければならない」と述べた。

もちろんノンクリスチャンの科学者は、キリスト教の神を自らの科学的な研究の基礎として受け入れることはないだろう。そのため、2種類の科学の間には「対立関係antithesis」がある。クリスチャンの科学者たちは、自らの研究を聖書に基づき、神の栄光のために行おうとするが、ノンクリスチャンの科学者たちは、そのような方法論をあらゆる手段を尽くして回避する。

それでは、クリスチャンとノンクリスチャンが科学的な研究において協力することは不可能なのであろうか。カイパーは、それは可能であると言うが、対立関係に関する彼の見解に制限があるため、これがなぜ可能であるのかの理由とどのように可能になるのかの方法を示すのは難しいと考えていた。カイパーは「『形式的な信仰』とは、クリスチャンとノンクリスチャンが共有するものである」という。すなわち、それは、我々の感覚の信頼性や論理の自明性、科学的な法則の普遍性について確信させるものなのである。しかし、カイパーによれば、「形式的な信仰」は救いをもたらすものではなく、さらに、真の神に対する信仰でもない。事実、それにはいかなる「内容」もない。そのため彼はクリスチャンとノンクリスチャンは、自然科学においては共通の基盤を持つが、霊的な科学においてはそれを持たないと考えた。両者は物の重さを図ったり、大きさを測る場合には合意できるが、神の性質については見解を同じくすることがない。

コーネリアス・ヴァン・ティルによれば、カイパーは、ここで自己矛盾に陥っていた。というのも、カイパーは、別の場所でカルヴァンに倣い「人間は常にあらゆる事実において、神と直面している」と述べていたからである。しかし、当然のことながら、直面の中には「ノンクリスチャンも不本意ながら、感覚の信頼性や、論理の自明性、そして科学的法則の普遍性―これらは、キリスト教の世界観においてのみ合理性を持つ原則である―を認めなければならない場合」も存在する。「形式的な信仰」は、確かにこの直面を表す名前としては最善では無い。というのも、それは、内容が充実しており、さらに、真の神との直面であるからでもある。しかし、後に見る通り、ヴァン・ティルはカイパーのように「対立関係」の定義に困難を感じていた。

カイパーは、科学においてクリスチャンとノンクリスチャンがどのように協力できるかに関して納得の行く答えを得ることができなかったが、可能性については確信を持っていた。さらに、クリスチャンとノンクリスチャンは確かに協力することができ、また、この能力は、神の一般恩恵―神の非選民に対する非救済的な行為―に由来すると考えていた。それゆえ、カイパーは一般恩恵というテーマで、さらに3巻の著作を著した。

John M. Frame, "A History of Western Philosophy and Theology", P&R, pp.513-517.

 

 

2016年12月12日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net