新約時代において契約の箱に宗教的な意味は何もない


https://www.youtube.com/watch?v=2a7i9bStT2E

現在、契約の箱にはいかなる宗教的意味もない。

考古学的な意味はある。

しかし、宗教的意味はない。

なぜか。

イエス・キリストが、旧約聖書を成就されたから。

神殿及び神殿礼拝に関係するすべての器具や施設は、イエス・キリストの犠牲による救いを象徴するものであるから、本体であるイエス・キリストが十字架上で犠牲になったときにすべて不要になった。

現在の神殿は、キリストの御体とクリスチャンの体である。

宇野正美氏は、ディスペンセーショナリストであるから、この旧約と新約の経綸に区別をしない。

だから、今日でも契約の箱は宗教的に有効であり、それを担ぐ者は、レビ人に限られるという。

しかし、ヘブル書によれば、「イエス・キリストは、メルキゼデクの位に等しい祭司である」。


別の個所で、こうも言われます。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」(ヘブル5・6)

メルキゼデクは、まだ12部族が誕生していないころ(アブラハムの時代)の人物である。

だからイエス・キリストが「メルキゼデクの位に等しい祭司」になったというのであれば、もはやレビ部族だけが祭祀に携わらねばならないという律法は無効になったのである。

私たちの主が、ユダ族から出られたことは明らかですが、モーセは、この部族については、祭司に関することを何も述べていません。
もしメルキゼデクに等しい、別の祭司が立てられるのなら、以上のことは、いよいよ明らかになります。
その祭司は、肉についての戒めである律法にはよらないで、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となったのです。
この方については、こうあかしされています。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」
一方で、前の戒めは、弱く無益なために、廃止されましたが、
――律法は何事も全うしなかったのです――他方で、さらにすぐれた希望が導き入れられました。私たちはこれによって神に近づくのです。
また、そのためには、はっきりと誓いがなされています。
――彼らの場合は、誓いなしに祭司となるのですが、主の場合には、主に対して次のように言われた方の誓いがあります。「主は誓ってこう言われ、みこころを変えられることはない。『あなたはとこしえに祭司である。』」――
そのようにして、イエスは、さらにすぐれた契約の保証となられたのです。
また、彼らの場合は、死ということがあるため、務めにいつまでもとどまることができず、大ぜいの者が祭司となりました。
しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。(ヘブル7・14-24)

ここで、イエス・キリストというユダ族の人が祭司になったと宣言されている。

そして、レビ族が祭司にならなければならないという律法は「弱く無益なために、廃止され」、イエス・キリストという「さらにすぐれた希望が導き入れられ」、「私たちはこれによって神に近づく」。

そしてイエス・キリストの祭司職は永遠である。

レビ族の場合、「死ということがあるため、務めにいつまでもとどまることができず、大ぜいの者が祭司とな」ったが、イエス・キリストが祭司になった新約時代においては、祭司は変わることがない。

「祭司は変わらない」。

だから、今日契約の箱を担げるのはレビ族だけだなどということもないし、そもそも契約の箱に宗教的な意味は何もない。

 

 

2015年9月19日



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