契約思想を失うことは神の国を失うことと同義である


1.

聖書では、敵の頭に釘を打ち込んだ女性が称賛されている。


(カナンの王)ヤビンの将軍はシセラで、彼はハロシェテ・ハゴイムに住んでいた。

『…わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車と大軍とをキション川のあなたのところに引き寄せ、彼をあなたの手に渡す。』

ヤエルはシセラを迎えに出て来て、彼に言った。「お立ち寄りください、ご主人さま。私のところにお立ち寄りください。ご心配には及びません。」シセラが彼女の天幕に入ったので、ヤエルは彼に毛布を掛けた。
シセラはヤエルに言った。「どうか、水を少し飲ませてください。のどが渇いているから。」ヤエルは乳の皮袋をあけて、彼に飲ませ、また彼をおおった。
シセラはまた彼女に言った。「天幕の入口に立っていてください。もしだれかが来て、『ここにだれかいないか』とあなたに尋ねたら、『いない』と言ってください。」
だが、ヘベルの妻ヤエルは天幕の鉄のくいを取ると、手に槌を持ってそっと彼のところへ近づき、彼のこめかみに鉄のくいを打ち込んで地に刺し通した。彼は疲れていたので、熟睡していた。こうして彼は死んだ。

その日、デボラとアビノアムの子バラクはこう歌った。
「イスラエルで髪の毛を乱すとき、民が進んで身をささげるとき、主をほめたたえよ。
聞け、王たちよ。耳を傾けよ、君主たちよ。私は主に向かって歌う。イスラエルの神、主にほめ歌を歌う。
女の中で最も祝福されたのはヤエル、ケニ人ヘベルの妻。天幕に住む女の中で最も祝福されている。
シセラが水を求めると、ヤエルは乳を与え、高価な鉢で凝乳を勧めた。
ヤエルは鉄のくいを手にし、右手に職人の槌をかざし、シセラを打って、その頭に打ち込み、こめかみを砕いて刺し通した。(士師記4・2, 7, 4・18-21, 5・1-3, 24-26)

シセラは、カナン人の王の将軍であり、イスラエルの敵であった。

神は、カナン人の絶滅を命じ、シセラをイスラエルに渡すと宣言された。

現代人はいくつかの点につまづく。

1.ヤエルはシセラを敵として認識していながら出迎え、天幕に招いた。つまり欺きを行った。

2.熟睡したところを見計らって殺害した。

3.イスラエル人デボラとアビノアムの子バラクが、彼女を「天幕に住む女の中で最も祝福されている」と称賛した。

「欺き、殺した人間を称賛するとは何事か!」と。

このように思うのは、契約思想を持たないからである。

ヤエルは、単なる自分の利益のために欺きや殺人を行ったのではなく、主の命令を実行したのである。

ヤエルは、主のカナン人絶滅命令に従った。

それゆえ、イスラエル人は彼女の「いわゆる現代人が悪と見る行い」を称賛した。

聖書は、「創造者であり主権者である神が命令されたことは絶対である」という思想に貫かれている。

すべては契約によって解釈しなければならないと。

自分にとって何が善悪かは、自分の主権者の意見によって定義されなければならないと。

2.

進化論教育を施されると、子供たちは、善悪の区別ができなくなり、それゆえ心の安定を失う。

なぜならば、誰が主権者かわからなくなるからである。

創造論に立ち、主権者は神であるとはっきりと教えられた子供には迷いがない。

あらゆる事柄について「神はどう考えられるか」と自問する。

なぜ現代人が死刑制度反対に傾くかというと、進化論によって契約思想を失ったからである。

人間が偶然の産物であるならば、何が善で何が悪であるか堂々と主張できなくなる。

それゆえ「人を殺すことはいかなる場合であっても悪だ」と言われると「そうかな」と思う。

契約思想を子供たちに植え付けるべきである。

そうすれば、今世界で推進されているポリティカル・コレクトネスという攻撃にしっかりと対抗できるようになる。

3.

サタンがなぜ進化論を推進するかというと、倫理に関して土台を破壊するためである。

破壊した後に、サタンの善悪の基準を導入しようとしている。

キリスト教が弱体化したのは、契約思想を失い、それゆえ、法を失ったからである。

これが問題の本質である。

世界観を構成する3つの要素:存在論、認識論、倫理は、互いに密接に関連しているので、存在論でしくじるならば、倫理においてもしくじる。


進化論を放置するキリスト教は、自らの心臓を敵にさらけだしているのである。

 

 

2017年3月31日



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