女性宮家創設は女系天皇に道を開く
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”女性宮家創設とは、すなわち女性皇族が民間から婿を取ることを意味する。もしこれが現実のものとなれば、皇室の歴史上、初めて民間出身の男性が皇族の身分を取得することになる。そして、その子や孫が将来の天皇となった場合、男系継承の原則が崩され、初の女系天皇が誕生することになる。
女性宮家創設というのは一般人の耳に優しく響くだろう。しかし、女系天皇を容認する国民的合意なくして、女性宮家について論じるのは適切ではない。女系天皇論者は、悠仁親王殿下ご誕生で女系天皇論が進められなくなっていたところ、最近になってこれまでと違った形で攻勢を仕掛けてきたのである。これは、天皇陛下の御体調を慮る国民の感情を巧みに利用したものであり、女性宮家創設の皮をかぶった女系天皇論にほかならず、「禁じ手」というべきである。 ”(竹田 恒泰)
http://www.hokkaidojingu.or.jp/sizume/column/takeda11.html
(1)明仁天皇を途中で退位させる。→処刑。
(2)徳仁天皇は死に体である。→墓の中。
(3)愛子内親王を天皇にする。→復活の準備。
(4)愛子天皇に外国人の婿(見た目は日本人)を迎え、結婚させる。→同上。
(5)愛子天皇に男の子が生まれたら、彼を次の天皇にする。→復活
蘇我氏は大王家(後の天皇家)を凌ぐ権勢を誇り、遂には自身が大王になろうとしたため、乙巳の変により滅ぼされた(Wikipedia「皇位簒奪」)。
弓削道鏡は、「聖武天皇の出家(神⇒仏)、孝謙太上天皇の再即位(仏⇒神)など神仏混交が進み天皇の地位が変質するなか、孝謙天皇(称徳天皇)の看病禅師として宮中に入り、寵愛されるようにな」り、「天皇に準ずる法王に即位し、家政機関も設置されるなど事実上の女帝との共同統治者となり仏教事業や神祇を司った」。「更に二人の二頭体制によって皇太子を経ず形式的に天皇に即位すべく準備が行われた」が、「間もなく女帝が死去した為実現しなかった」。
平将門は、「八幡大菩薩の使いを称する巫女が宣託を告げ、興世王から「新皇」の号を進呈されたという。新皇位への即位は京都朝廷へ奏上を行っており、相対する新たなる天皇という意味で新皇を名乗った。」しかし、「敵対勢力への対応に忙殺されて翌年には討たれ」た。(同上)
足利氏は、「南北朝の動乱により、天皇家と公家勢力の権力及その権威が低下すると共に、足利幕府の成立以来、その権威は天皇家に迫り、実質的に日本の君主としての役割を担った。とりわけ三代将軍足利義満は朝廷への影響力を強め、公武を超越した権威と権力を持つに至った。」「晩年には、実子義嗣を親王に準ずる形で元服させた。しかしその直後に義満は後継者不指名のまま急死し、四代将軍となった足利義持や幕府重臣により先例無しとして太上法皇位の追号も取りやめられ、朝貢貿易も停止された」。(同上)
2019年5月7日
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