世界の支配者になるべき人々


1.

クリスチャンはエデンの園に住んでいる神の副官であると同時に、神の祝福の仲介者である。

エデン山頂に降った雨は川となり、エデンの園を潤し、そこから4本の川が流れていた。

それゆえ、クリスチャンは、祝福の水をとどめておいてはならない。

とどめておけばエデンの園は水であふれて洪水になる。

祝福は他の人々に分け与えるべきである。

エデンの園の中に流れる川は、次々と水を流していた。

つまり、自分のところに来た水を下に流せば、水はまたやってくる。


与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」(ルカ6・38)

祝福を与える人はさらに祝福され、祝福を自分のところにとどめる人は損失を被る。

そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」(ルカ12・15-21)

財産をため込んでも、分け与えない人は、祝福されない。

救われた人の特徴は、分け与えることである。

ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。(ルカ19・8-9)

この世の富は使うためにある。

神は投資家であり、クリスチャンは企業家である。

彼は自分の十人のしもべを呼んで、十ミナを与え、彼らに言った。『私が帰るまで、これで商売しなさい。』
しかし、その国民たちは、彼を憎んでいたので、あとから使いをやり、『この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません』と言った。
さて、彼が王位を受けて帰って来たとき、金を与えておいたしもべたちがどんな商売をしたかを知ろうと思い、彼らを呼び出すように言いつけた。
さて、最初の者が現われて言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。』
主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』
二番目の者が来て言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、五ミナをもうけました。』
主人はこの者にも言った。『あなたも五つの町を治めなさい。』
もうひとりが来て言った。『ご主人さま。さあ、ここにあなたの一ミナがございます。私はふろしきに包んでしまっておきました。
あなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方ですから。』
主人はそのしもべに言った。『悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。あなたは、私が預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取るきびしい人間だと知っていた、というのか。
だったら、なぜ私の金を銀行に預けておかなかったのか。そうすれば私は帰って来たときに、それを利息といっしょに受け取れたはずだ。』
そして、そばに立っていた者たちに言った。『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナ持っている人にやりなさい。』
すると彼らは、『ご主人さま。その人は十ミナも持っています』と言った。
彼は言った。『あなたがたに言うが、だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている物までも取り上げられるのです。(ルカ19・13-26)

エデン山頂から流れる川は、神が投資された資金である。

エデンの園に住む人々は、それを4つの川に分岐し、全地を潤すために働く。

聖書において4という数字は「全世界」を意味する。

つまり、神からの投資資金は、全世界を神の国に変えるために与えられる。

イエス・キリストは、「律法と預言者」つまり旧約聖書をすべて成就したので、すでに全世界は神の国に変わっている。

しかし、それは、法的な神の国である。

実際的な神の国に変える働きはクリスチャンの手にゆだねられている。

これはあたかも、アパートの権利を手に入れたが、まだ住民が出ていかないので、跡地にマンションを建設できないような状態である。

しかし、法的権利は手に入れているので、住民が出ていくのは時間の問題である。

クリスチャンは、法的にすでに全世界を手に入れている。

あとは、具体的に働きかけ、サタンと悪霊を追い出すだけである。

2.

神殿や幕屋は、東に門があり、西に至聖所があった。

これは、イエス・キリストが太陽によって象徴されることを示している。

太陽は東から昇り、西に沈む。

イエス・キリストは神殿や幕屋の門のところで屠られ、ご自身の体を祭壇のところで燃やし、煙となって神の義の要求を満たされ、そして、ご自身の血をもって至聖所に入り、契約の箱に注ぎかけ、贖いを成就された。

現在は、聖所のところにおられ、至聖所におられる「父なる神」の副官として世界を支配しておられる。

ちなみに、至聖所にある契約の箱の「贖いのふた」の上は神の統治の座である。

わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。(出エジプト記25・22)

ケルビムの羽と羽と贖いのふたがつくり出す三角形から父なる神は支配される。




これが「三角形と目」の起源である。

この三角形はエデン山を象徴する。

「山頂の目」または「ピラミッドと目」は、フリーメイソン・イルミナティに悪用されてきたが、本来聖書が示す神の支配の象徴なのである。

イエス・キリストは、至聖所におられる父なる神と世界を仲介するために聖所におられる。

われわれクリスチャンもキリストとともに、聖所にいる。

もちろん、これは物質的な聖所ではなく「天の聖所」である。

聖所には光があったが、至聖所は真っ暗であった。

これは日没を示す。

神殿や幕屋の内部は、東から西に進むにつれて暗くなる。

しかし、栄光はますます大きくなる。

至聖所の内部は黄金でおおわれていた。

イエス・キリストは礼拝者の代表、つまり、大祭司であり、礼拝者はすべてこれと同じ体験をする。

すなわち、われわれは、キリストにあって、ほふられ、祭壇で煙となり、血をたずさえて至聖所に入り、神と和解し、聖所に住む。

エデンの園も東に門があり、西にエデン山があった。

古代の異教が、太陽神を崇拝していたのは、この聖書のエデンの園の構造のパクリである。

バビロン人は、バアルを太陽神として崇拝していた。

すべての異教は、聖書の教えと似て非なるものを作り出す。

聖書において、太陽はキリストの象徴であって、崇拝の対象にはならない。

「超越と非超越の区別」が崩れるところから偶像礼拝が始まる。

被造物を超越者の座に据えてはならない。

3.

民主主義の政治体制は、エデン山にサタンが住み、エデンの園に有権者が住む体制である。

有権者は世界にサタンの毒水を広げている。

全世界はますます聖書から離れ、悪魔化している。

聖書的な政治体制とは、エデン山に神がおられ、エデンの園にクリスチャンが住み、世界が祝福される体制である。

それゆえ、選挙制度は、普通選挙ではなく、クリスチャンだけに選挙権が与えられなければならない。

エデンの園にだれもかれも入り、多数決が意思決定の方法になると、非聖書的な思想で世界が運営される恐れがある。

エデンの園は、ケルビムと回る炎の剣によって入場規制されるべきである。

どの会社でも団体でも、選挙権を持つ理事会に入るメンバーはその組織にとって有益な人物に限定される。

世界は神の創造なので、神にとって有益な人物だけが支配権を与えられるべきである。

 

 

2017年4月13日



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