神中心のキリスト教と人間中心の「キリスト教」
以前、ミレニアムの中で、「サタンの悪行を神様は許しておられる」というような記述がありどうにも理解できないでおりました。
先週の「夜明けは近い」の回で、ようやく私なりに理解したのですが、私たちの生きるこの世界は、神様の作品ともいえるもので、例えば小説家が生み出す小説の中では創造主であるように、神様は私たちやサタンまでも神様のシナリオ通りに動かしていると考えて差し支えないでしょうか。
小説家が話を面白くするのに、とんでもない悪役をこさえて悪事をさせたりするように、神様はこの世界を複雑で変化に富んだ美しい物にするためにサタンを作り出したと。
何かに向かって必死に頑張る人間は美しいので、より人間を美しく見せ、素晴らしい世界を実現させる為にあえて困難を作り出したと。
正しく生きる人を際立たせるために、そうでない人を作り出した、、、というふうに解釈しました。
間違っていますでしょうか?
正しくご理解しておられると思います。
ただ、サタンも悪人も自分から堕落しました。
「神は人を誘惑される方ではない」とあります。
神は悪を創造されたのではありません。
しかし、悪が誕生することをあらかじめ予定されました。
第1の天使であったサタンがその自らの美しさゆえに傲慢になって神のライバルになろうと試みるのを神は妨害されませんでした。
そして、神はエデンの園の中にサタンが入ることを許容され、アダムが堕落するのを許されました。
それは、世界を契約の民とそれ以外の人々に分け、契約の民に善を行わせ、その報いとして世界を相続させ、永遠の祝福に至らせるためです。
神がいかに素晴らしいお方であるかを示すために、あえて神はサタンの活動を許された。
サタンの活動そしてその手下の人間の活動のゆえに、善の勢力の勝利と神の働きの素晴らしさが際立ちます。
すべては「神の栄光のため」に世界は成立しています。
「究極的に言えば、」すべては神から発するのであって、私たち人間の側の努力などではありません。
「現象的に言えば、」われわれは努力します。しかし、その努力すら神の導きがあってはじめて成立します。
もし御心でなければ、私たちは玄関から外に出ることすらできません。
人間の側からすると「私たちと無関係なところで全部決定されている?勝手だ!」となるのですが、それは絶対に発してはならない文句です。
なぜならば、人間は被造物だから。
神は創造者で、人間は被造物。
主従関係は絶対です。
存在論的にこの順番を「いついかなる時であっても」逆転できません。
福音派や今のキリスト教は堕落したため、この逆転が起きています。
ヒューマニズムとは、「人間を中心に宇宙を回す」思想です。
そのため、神の絶対的主権を主張する聖書が邪魔でしょうがない。
ヒューマニズムの「人間教」の霊を心に持ちつつ教会の中に入り、クリスチャンを騙してできたのがいわゆる「人間のための神様」を半分受け入れる今のキリスト教なのです。
霊的戦いやら教会成長学やらいろんな運動がありますが、全部「人間のために宇宙はある」とする立場です。
人のために神を振り回す教え。
実は、聖書の主張はまったく逆であり、人間は徹底的に神の栄光のための手段でしかありません。
その立場に満足できないのはなぜかというと、傲慢だからです。
もし謙遜ならば、正しい教えを選択できるはずです。
それができない今の既存のキリスト教というものは、傲慢のため裁かれます。
火葬して少しの骨だけになった姿を見ると、やはり人間というのは、神様が土塊から形を作り、命を吹き込まれたものなんだと、つくづく感じました。
人間にはそれぞれ役割が与えられていますね。
与えられたこの肉体を大切にして、一生懸命子供を育てて、良い行いをたくさんすることが、神様の創造物である私の使命なんだと思います。
富井様がたくさんの人に神様の真実の御言葉を伝える役割を与えられたように。
富井様の御働きに心から感謝いたします。
喪中なので、新年の祝辞は申し上げられませんが、富井様のご健康と、益々のご活躍をお祈りいたします。
(1)
全面的に賛同いたします。
自分がなぜ今、こういう立場に置かれているのか。
なぜ男に生まれたのか、女に生まれたのか。
なぜ日本人に生まれたのか、アメリカ人に生まれたのか。
全部「召命」なのです。
神の側で、この世界をどのように構成させるか決定されている。
だから、ある職業に偏ることがない。
ユーチューブで日本刀製作の職人さんが紹介されています。
私の立場から見ると「後継者は大丈夫かな」と思います。
神が社会全体を見渡して、人を誕生させ、職業をお与えになる。
だから、私たちが知らない世界でもちゃんと後継者がいる。
戦争などで男性が少なくなると、次の世代は男の比率が増えると聞いたことがあります。
戦後のベビーブームなども神様の側での調整なのでしょう。
それぞれに生まれた時代、場所、環境、教育いろんな要素がありますが、全部神の導きです。
テレビの街頭インタビューでまったく知らない人が出ていますが、不思議と同じ日本語を使っている。
自分の頭の中で日常使用している言葉を、まったく会ったこともなかった人が同じように使用していた。
不思議です。
つまり、私が見ている世界とは異なる世界で生きている人がいるが、その人も神がご存じであり、導かれている。
だから、私たちは自分の使命を果たせばいいのだと思います。
全体の調整は神が行ってくださる。
(2)
残念ながら、一生を悪魔のために意識せずに(もしくは、意識して)送る人もいます。
たとえば、日教組の幹部とか。
子供たちに嘘を教えて日本を破壊するために働いている。
こういう騙しとごまかしの中で生きて有害な人生を送ることも神が許容しておられる。
それは、パロと同じです。
エジプトの王パロ(ファラオ)は、モーセとイスラエルの民を奴隷として使役し、苦しめ、出ることを拒否しました。
なぜ頑固になったかというと、「あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためで」(ローマ9・17)す。
パロが罪を犯したのは、神の栄光を示すためでした。
神はパロが罪を犯すのを許容された。
日教組などの共産主義者は、売国奴であり、その有害無益な人生を送ることを許容され、最後の日に裁かれて永遠の滅びに至り、そこで神の裁きの正しさを示すための要員なのです。
私たちが神のために選ばれ、神のために一生を送るように選ばれたのはきわめて幸いなことです。
神に感謝です。
2013年1月22日
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