再婚は罪か
次に、すでに結婚した人々に命じます。命じるのは、私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。――もし別れたのだったら、結婚せずにいるか、それとも夫と和解するか、どちらかにしなさい――また夫は妻を離別してはいけません。(1コリント7・10-11)
文脈としては、「クリスチャンになったからといって、それまでの状態を変える必要はない。割礼を受けているならば、割礼の痕跡を消すな。相手が結婚状態を希望しているノンクリスチャンの配偶者とは離縁するな。…」ということです。
「現在の危急のときには、男はそのままの状態にとどまるのがよい」
危急のときというのは、迫害が迫っているという特別な状況です。
妻帯し子供を持つことが大変な時代がくる。それならば、独身のほうがいい、と。
そういう特殊な状況にあったコリントの教会に向けてかかれたもので、聖書が独身を勧めているということではありません。
他の箇所では、パウロは「結婚を禁じるのは悪霊の教え」と呼んでいます。
パウロは、ここで今の危急のときに、「結婚しているとたいへんだから、離婚した人は独身でいられるなら独身のほうがいい」と言っているのであって、独身を命令もしくは奨励しているのではありません。
コリントが直面していたのは、紀元70年のエルサレム崩壊とそれに付随する迫害です(マタイ24章)。
チャールズ・ホッジ曰く:
エルサレムとユダヤ民族全体に恐ろしい荒廃が訪れようとしていた。そして、この荒廃にはクリスチャンもある程度巻き込まれる。
主の予言によればクリスチャンが遭遇するはずの苦難と迫害はあまりにも確実であり、そのため、使徒(パウロ)は心に深い印象を受け、兄弟たちに来るべき嵐に備えよと警告したのである。(Charles Hodge Commentary on First Corinthians, P128)
新約聖書は、紀元70年の再臨に向けて書かれている切迫した書物で、この紀元70年の出来事を無視すると、全体を誤解してしまいます。
2015年8月8日
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