ようやく涼しくなり、ここ数日1日5〜6キロメートル歩いている。
歩きながら祈る。
夏の間、歩かなかったので、腰の筋肉が弱くなり、腰痛が出たがやっと解放された。
お祈りくださった皆様感謝いたします。
次の夏からは、スポーツジムで機械を使って歩こうと思う。
歩かないと腰痛になり、そちらの不利益のほうがジムの会費よりも大きい。
われわれが祈ってから、世の中はかなり変わった。
TPPは頓挫。朴槿恵は失脚。民進は滅亡。・・・
神は「喜んで」御国を与えてくださる、と聖書において約束されている。
小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。(ルカ12・32)
だからわれわれは、「この地上において悪人が栄えないように。善人が支配するように」と祈れば、必ず聞かれるのである。
神は「喜んで」悪人を倒し、善人を栄えさせ給う。
もしわれわれが「機械論的世界観」を持っているならば、絶望しかない。
この世界観では「力の強い者が勝ち、弱い者が負ける」と考えるから。
われわれの世界観、すなわち、聖書的世界観では「倫理」を重視する。
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。(マタイ5・5)
「地」を「受け継ぎ」、支配する者は誰か。
「柔和な者」である。
「柔和な」の原語praosは「マイルドな」「優しい」という意味。
KittelのTheological Dictionary of NTによると、荒ぶる動物を「なだめる」という意味で使用されるという。
つまり、世界を相続し、支配する者は、「荒々しい者」「興奮している者」「いきり立つ者」ではなく「その興奮を鎮め、怒りをなだめる者」である(vol. VI, p. 645)。
世的な考え方をする人は「軍事力を拡大すれば世界は支配できる」と考え、戦争をやりたがる。
しかし、聖書はできるだけ平和的な解決を模索する者こそが、世界を支配するという。
結局、ソフトパワーが勝つ。
中国がいくら最新兵器をそろえても、アニメや音楽などによって、その国民の心が親日になっていれば、戦争で日本を制圧することはできない。
だから、中国はできるだけ日本を憎むように教育するのである。嘘の情報を流して、国民を反日に作り替え、世界の諸国民も反日になるようにプロパガンダを行っている。
われわれは「柔和な者」になるべきである。
荒ぶる中国人をなだめて、興奮を鎮めるべきである。
福音伝道、神の国建設とは「興奮」や「怒り」によらない。
「なだめること」「鎮めること」を通じて進展する。
もちろん、物理的に相手の攻撃を跳ね返す防衛力は必要である。
しかし、われわれの「影響力を拡大する方法」は、武力ではない。
「道義」であり「倫理」である。
武力ではなく、道義において進歩し、倫理を広めることを通じて、人々から愛され、尊敬されることを通じて、影響力を拡大すべきである。
回り道のように見えて、これが最短コースである。