この戦いに参加する人を求む
今回の選挙で「ポスト・ミレのほうが正しいのではないか」と思ったクリスチャンは多いだろう。
祈って戦えば勝てる。
「再臨がない限り、勝てない」と教えるプレ・ミレを捨てるべきだ。
再臨はすでにあった。
なぜならば、イエス・キリストが黙示録において「わたしはすぐに来る」と言われたのだから。
マタイ24章の終末預言と呼ばれるものは「この時代が過ぎ去る前にこれらは起こる」と言われている。
携挙はパウロの同時代人が「生き残っている」うちに起きる。
このように考えるならば、どうしても紀元70年の神殿崩壊及びイスラエルの滅亡こそがイエス・キリストの再臨であったと考える以外にはない。
再臨によって、イスラエルは崩壊し、御国は「実を結ぶ人々」が相続した。
すなわち教会(=民族を問わずイエス・キリストを信じる人々)が相続した。
そして、教会には「すべての国民(または民族)を弟子とせよ」との命令が与えられている。
すなわち、すべての民族や国民はキリストの命令を守るように変えられなければならない。
イエスはこの保証として、
1.天においても、地においても、一切の権威が与えられていること。
2.イエスが常に教会とともにおられること。
を示された。
このような約束を与えられて、どうして「弟子化は不可能だ」と言えるのか?
紀元70年にシステムは変わったのである。
破局は古いシステム(イスラエル)にのみ下るはずであった。
新しいシステム(教会)には「可能性」だけが啓示された。
プレ・ミレは、紀元70年におけるシステムの変更を認めないので、破局の預言を新しいシステムに適用しているのである。
だから、悲観的になるのだ。
諸悪の根源は、「聖書の先入観に基づく読み込み」にある。
この読み込みがあるために、イエスの「わたしはすぐに来る」や「この時代のうちに再臨の前兆や神殿崩壊が起きる」や「神の国が力をもってやってくるのを見る人がこの中に立っている」や「生き残っているわれわれ」という御言葉を見逃すのである。
どちらがすっきりと聖書を矛盾なく解釈できるか。
明らかにポスト・ミレだ。
ポスト・ミレに立つときに信仰がガラッと変わる。
「自分には、イエス・キリストにあって、地上を支配する全権が与えられているのだ」と信じることができる。
「戦えば勝てるのだ!」と考えることができる。
「地上に蓄えられたカナン人の莫大な資産をそのまま受け継いで、神の国に利用できる」と考えられる。
われわれは、合法的に、悪魔崇拝者の築き上げたすべてのものをそっくりそのまま受け継ぐ権利がある。
「礼拝人数1000人教会を目指す」とか「年収〇千万を!」とか、教会成長学を学んだ牧師のようなチンケな目標を立てたらだめだ。
世界の国々をそっくりそのまま受け継ぐのである。
そして、イエス・キリストは、自分が天地の全権を持ち、常に我々とともにおられるから「それをやれ!」と言われたのだ。
我々の世界支配はイエス・キリストの命令である。
だから、やろうとする者には必ずできる。
神が背後におられるから、我々に勝てる者はいない。
必ず成就する。
最初から結果がわかっている戦いである。
この戦いに参加する人を求む。
2016年11月14日
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