キリスト教を健全に維持するにはヴァン・ティルの弁証論に立つしかない
ヴァン・ティルは、著書を通じて、20世紀前半のアメリカの長老派の中で発生した重要な知的・制度的闘争の多くを明らかにした。1929年、神学的ファンダメンタリストとモダニストの間で約10年間続いた論争の後、米国の改革派神学の背後にある主たる制度的勢力であったプリンストン神学校(Princeton Theological Seminary)は、様々な教派間に団結と妥協をもたらすために、理事会を再編した。1923年の自由主義的なオーバーン確認書(Auburn Affirmation)に署名した2人のモダニストが再編された理事会に加わったときに、J・グレシャム・メイチェンとヴァン・ティルを含む4人の教職者が、抗議のために辞任した。メイチェンは、「旧」プリンストン神学の伝統を継承するために、ウェストミンスター神学校を設立し、ヴァン・ティルに、弁証学教授として教鞭を執ることを依頼した。
ヴァン・ティルは、「旧」プリンストンの使命を継承するために雇われたのだが、新しい弁証学的方法を発展させた。その方法は、当時改革主義者の間で支配的であった証拠主義的弁証学の伝統と大きく異なっていた。証拠主義的弁証学は、スコットランドのコモンセンスの哲学的伝統から発達し、18世紀から19世紀にかけてアメリカの知識人が採用し、適用したものである。歴史家マーク・A・ノルによると、アメリカの福音派は、一般的に、コモンセンス哲学の、3つの重要かつ簡素化された側面を強調した。第一に、アメリカの福音主義者は、伝統的に、認識に関して、認識論者の理論を強調し「人間の知覚は、世界のありのままの姿を明らかにする」と主張していた。(Michael McVicar, Christian Reconstruction, pp.37-43)
である。
1.被造物としての限界
2.罪による限界
きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。(テトス1・15)
2017年5月20日
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