紀元70年以前に完結した話をそれ以降の歴史に適用してはならない5


反キリストについて。 ご承知のように新約聖書ではAntichristは5回しか使われておらず、その5回とも複数形だったり、意味として複数だったりです。これに反して、「荒らす憎むべき者」も「ネロ」も一人です。私の今の理解では、反キリストをネロ一人に封じ込めるのは、聖書解釈の面でそもそも無理があると思っています。 殺したクリスチャンの人数からいうと、ネロとローマ教皇とでは比較になりません。新型コロナと普通の肺炎くらい(?)違うかもしれません。 プレテリズムでも黙示録20章以降にはサタンの活動が預言されていると考えるようです。ということは、イエスキリストは将来起こる大規模なサタンの活動を黙示録に預言したわけです。 1世紀の小さな活動だけ預言して、歴史に残るけた違いの大虐殺は預言していないとしたら、イエス様の予言能力はその程度ということになります。 社会的状況を証拠に使うのはアプローチとして正しくないのですが、富井先生もネロの残忍さを挙げておられるので挙げる価値があると考えました。 未来派は新聞を使って預言を解釈すると揶揄されますが、プレテリストは新聞をヨセフスに変えただけではないかとの批判もあります(ヨセフスを読んでから黙示録を読むとピタリわかる)。

聖書ではどこにおいても「獣=反キリスト」と述べていません。黙示録13章に出てくる獣は、ヨハネの手紙に出てくる反キリストと関係があると述べている箇所はありません。

もし獣が反キリストであるならば、獣を政治権力であると考えることはできません。

なぜならば、ヨハネによれば、反キリストは「イエスがキリストであることを否定する者」であり、「イエスを告白しない」者であり、「イエス・キリストが人として来られたことを告白しない」者であり、「人を惑わす者」であると言われていますが、どこにも世界を支配する政治的な人物であると言われていないからです。

小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります(1ヨハネ2・18)。
偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです(1ヨハネ2・22)。
イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです(1ヨハネ4・3)。
なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです(2ヨハネ7)。

黙示録の獣を反キリストと結びつけることはできないようです。

プレテリズムでも黙示録20章以降にはサタンの活動が預言されていると考えるようです。ということは、イエスキリストは将来起こる大規模なサタンの活動を黙示録に預言したわけです。 1世紀の小さな活動だけ預言して、歴史に残るけた違いの大虐殺は預言していないとしたら、イエス様の予言能力はその程度ということになります。

すでに述べたように、プレテリズムと「反逆の規模」とはいかなる関係もありません。黙示録は「法的な変化」があった、つまり、「世界はすでにイエス・キリストのニュー・ワールド・オーダーになっている。サタンは敗北している」と述べているだけで、「だから、何も戦いはない」とも「被害は少ない」とも述べていません。

いやむしろ、オールド・ワールド・オーダーでは戦線はイスラエル周辺に限定されていましたが、ニュー・ワールド・オーダーでは世界が戦線になるので、戦いの規模は大きくなります。

しかも、千年王国の終わりに「悪魔は解放されなければならない」とあります。

底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、(黙示録20・3, 7)

私は、第二千年紀に入ってから始まったシオニスト運動である十字軍においてサタンが解放されたと考えています。

もちろん、それ以前においてもタルムードユダヤ人の活動はありました。

しかし、紀元1000年頃から、神はサタンの活動を許容されたのではないかと思います。

フリーメイソン、イルミナティの起源は、テンプル騎士団ですが、彼らは十字軍のメンバーでした。

十字軍に資金を提供したのは、タルムードユダヤ人であり、それゆえ、十字軍は「聖地奪還を目的とするシオニスト運動」です。

もちろん、このシオニスト運動は共産主義運動と形を変えて今日の世界を動かしています。

しかし、これとて、紀元70年の再臨後の出来事である以上、イエス・キリストのニュー・ワールド・オーダーの中で起きたことであり、結果はすでに法的に決定されています。

1世紀の小さな活動だけ預言して、歴史に残るけた違いの大虐殺は預言していないとしたら、イエス様の予言能力はその程度ということになります。

当時のローマ帝国は世界一の大帝国でしたので、小さな活動とは言えません。

聖書は、キリストの御国を、世界帝国との戦いの中で描いています。

つまり、異教の4つの帝国を粉砕する形で、キリストの王国が出現すると。

その像は、頭は純金、胸と両腕とは銀、腹とももとは青銅、
すねは鉄、足は一部が鉄、一部が粘土でした。
あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。
そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。(ダニエル2・32-35)

4つの世界帝国を象徴する「像」は、キリストの御国を象徴する「石」によって粉砕され、その後、石は全土に満ちた、つまり、全世界を支配した、と述べています。

しかも、このキリストの御国は紀元1世紀のローマ帝国(鉄のすねと鉄と粘土の足)の時代に出て、「その紀元1世紀において」これらの4つの世界帝国を粉砕すると啓示されています。

「鉄のすねと鉄と粘土の足」の下には何もありません。

「ローマ帝国の時代の間に」偶像礼拝の勢力は粉砕され、キリストの御国が全世界を支配したのです。

つまり、紀元70年の再臨において、旧約世界が裁かれ、偶像礼拝の勢力は「みな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくな」った。

「しかし、紀元70年以降もローマ帝国は存続した」という人がいるかもしれません。

これは「法的な粉砕」なのです。

偶像礼拝の勢力は、法的に粉砕され、法的な立場を完全に失った。つまり、この世界を支配する権威を「法律上」完全に失った。

神がヨシュアとカレブに対して「カナンの地をあなたがたに与える」と言われたときに、カナンの地の住民の居住権や施政権は法律上無効になった。

同じように、紀元70年において、サタンの地上支配権は完全に無効化した。

車検が切れた車は、メカニカルに問題がなければ動きますが、法律上、公道を走ることはできません。

しばらく走ることができても、警察に見つかったら、走行不能になります。

神の御前で地上統治権を失ったサタンは、現在、キリスト側の攻撃に屈服するしかありません。

私たちが「キリストの御名によって」祈ったり行動すると、サタンは退く以外にはない。

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。(ヤコブ4・7)

では、どうして歴史上、様々な陰謀が奏功してきたのか。

クリスチャンの再臨理解に問題があったから、というのが私の見解です。

再臨を未来に設定することによって、神が支配するでもない、サタンが支配するでもない「空白期間」が生まれる。

そのような空白期間を、プレ・ミレ、ア・ミレ、非プレテリズムのポスト・ミレ、及び、フルプレテリズムのポスト・ミレは、実質的に作ってきた。

現代を空白期間の中に含めることによって、「不可避的に」不信仰が生じます。

「サタンに任せてもよい領域」を作るからです。

政治や経済は、ノンクリスチャンに任せておけばよい、みたいな。

認識論においてはヴァン・ティル主義者でも、政治的には、このような「フリーメイソンの、議論の中立的・共通的基盤」を採用してきた。

最近まで、パーシャルプレテリズムを漠然と受け入れていましたが、ヘンドリーに出会った時点でもまだ、PPの枠組みでとらえていました。PPを受け入れたままでヘンドリーの言っていることを取り入れることができると無批判に考えていたのですが、両者が相容れないことを富井先生の方が早く見抜いておられました。富井先生に教えられて私もようやく、プレテリズムとヒストリシズムの間に根本的な違いがあり、両者をミックスすることはできず、すべきでもないことに気が付きました。 リフォームド/ヒストリシズムは預言解釈が遅れていたと思ったのですが、自分が知らなかっただけのようです。ようやく勉強が始まりました。60歳になって、聖書理解の大きな穴がまた一つ見つかりました。 1世紀再臨説は過去のキリスト教会の信条をラディカルに否定することになるので、急いで結論を出すべきではないと感じています。自分としては、まだ呑み込めていない部分があり、納得するまで聖書をよく調べるしかありません。

釈義上、紀元70年再臨説以外は成立不可能です。そして、紀元70年再臨説が正しいと分かれば、1コリント15・22-28もすでに起きたということになり、信仰の内容、世界を見る見方が革命的に変わります。

今のディスペンセーション主義に騙されている日本及びアメリカの6000万〜1億人の福音派クリスチャンが「再臨待望」をやめて、この信仰に変わればどうなるでしょうか。

サタンに向かって「お前には地上支配権はない。お前が握っているお金と権力をすべてわれわれに差し出せ!」と言ったらどうでしょうか。

私は、このことが実際に近未来に起きるのだと思います。

信仰の内容に変化がない限り、世界を変える力は生まれません。

タルムードユダヤ人に騙されて「われわれには力はない。再臨が来ないと話は始まらない」と信じ込まされてきたクリスチャンが目覚めない限り、今のDSによる世界支配は続くでしょう。

 

 

2020年9月21日



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