まず真理を求めよ


福音派にいたころ、

「クリスチャンになったら祝福された姿を見せないと、ノンクリスチャンに証にならない」とか

「自分たちが利益を受けていない商品をどうやって売り込むことができますか」とか言われていたが、まったくの間違い。

なぜならば、


クリスチャンになること、イコール、幸せになること

ではないから。

イエスはペテロにこのように言われた。

まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。(ヨハネ21・18)

「行きたくないところに連れて行かれる」ことが幸せですか?

たしかにクリスチャンは祝福の源なのだが、しかし、それは、「だからすぐに幸せになり、その幸せを周りに分け与えることができる」という意味ではない。

真理のための戦いを経験せずに祝福が来ると考えてはならない。

「まず真理を」だ。

「まず祝福を」ではない。

ペテロ…は彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。…」(使徒4・19)

ペテロは、まず祝福を求めたのではなく、真理を求めた。

ソロモンも同じであった。

その夜、ギブオンで主は夢のうちにソロモンに現われた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」
ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。それは、彼が誠実と正義と真心とをもって、あなたの御前を歩んだからです。あなたは、この大いなる恵みを彼のために取っておき、きょう、その王座に着く子を彼にお与えになりました。
わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。
そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。
善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。
神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。
そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。
また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。」(1列王3・5-14)

先に祝福や富を求めるのは、愚か者の特徴である。

泥棒などは、「まず祝福を」の典型である。

泥棒をすることによって、どれだけの呪いが後半生に降りかかるか考えていない。

まず真理と知恵を求めるべきだ。

そうすれば、神はおまけとして祝福を与えてくださるだろう。

牧師や教団のコミュニティを恐れて、真理を語れないならば、その牧師は、神を恐れていないので、祝福からも漏れる。

あらゆるものを犠牲にして、真理を求め、語る気概がなければ、人生全体を失ったも同然である。

今、自分が他人と比較して幸せかどうか、など、ノンクリスチャンの価値観である。

こういう近視眼によって、人は間違った道を選択する。

何十年も、もしくは、一生誤解される覚悟がなければ、真理を伝える生き方はできない。

 

 

2013年3月25日



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