クリスチャンは自己完結を目指せ2


「えっ?自己完結を目指せ?それじゃあ、新興宗教と同じじゃないですか。思考停止して、ドグマを妄信するつもりですか」とたずねる人がいるかもしれない。

われわれの体系は、自己完結している。

なぜならば、権威を創造者においているから。

われわれの神は、創造者である。

無から万物を創造された。

だから、万物に対して主権を持っておられる。

神の言葉は、創造者の言葉なので、それ以上の権威は存在しない。

聖書を疑うことは、世界一高い山よりも高い山に登ろうとするに等しい。

つまり、不可能である。

神の言葉である聖書は、最高権威であり、それを疑うことは不可能である。

だから、われわれの世界認識は、聖書を最高権威として成り立つ。

それゆえ、世俗の科学的知識は「あくまでも参考」でしかない。

われわれは、いちいち世俗の学者の言葉に振り回されるべきではない。

聖書は、聖書記者の世界観や現実解釈に権威が与えられている。

だから、「聖書の中だけでは説明できない聖書記者の意図」などというものは存在しない。

聖書記者がどのような意図を持っていたとしても、聖書に記された範囲内ですべてを解釈しなければならない。

歴史的背景知識は、単なる参考である。

聖書は聖書によって解釈すべきである。

創造の記事を、現代生物学の知識で解釈する必要はない。

イエスに妻がいたかどうかに関する知識は、聖書から得るべきである。

聖書では、イエスの妻は教会である。

教会とは、世界中に存在するクリスチャンの集合体である。

だから、もし歴史的にイエスに妻がいたとしたら、一夫多妻になる。

聖書以外から結論を得ようとするのは邪道である。

 

 

2014年5月12日



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