聖書の大量虐殺や近親相姦など
> 2、私は読んでいないのですが旧約聖書は大量虐殺や近親相姦も肯定できる箇所が
> あり神学者たちも悩ませていたというのはほんとうですか?
1.
旧約聖書において大量虐殺が行われたのは、意味があります。
それは、「カナン人の悪が頂点に達したからです。」
「あなたの神、主が、あなたの前から彼ら(カナン人)を追い出されたとき、あなたは心の中で、「私が正しいから、主が私にこの地を得させてくださったのだ。」と言ってはならない。これらの国々が悪いために、主はあなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。
あなたが彼らの地を所有することのできるのは、あなたが正しいからではなく、またあなたの心がまっすぐだからでもない。それは、これらの国々が悪いために、あなたの神、主が、あなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。また、主があなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブになさった誓いを果たすためである。 」(申命記9・4−5)
カナンは暴虐に満ちていました。
子どもを火の中に放り込むモロク礼拝がさかんでした。
このような悪魔的な文化でしたので、神は追い出しを決意されたのです。
けっしてイスラエルが正しかったからとか選民だったからという理由ではありません。
ですから、通常のコソボの民族浄化のような大量虐殺、広島長崎の原爆のようなものと同列に置くことはできません。
神は全地を所有しておられ、善良な人々に地を相続させる計画です。
ですから、あまりにも邪悪な文化は絶滅させられます。その方法は、洪水、飢餓、戦争、様々です。
私たち人間は神の僕ですので、神の決定には逆らうことができません。
2.
近親相姦については、明確に律法において禁止されています(レビ記18・7−17、20・11、12、14、17、20、21、申命記22・30、27・20、22、23)。
ただし、アダムの子供たち、つまり、最初の兄弟たちは、近親で結婚しました。なぜならば相手がいないからです。
モーセ以前において、近親相姦は必ずしもはっきりと悪であるとみなされてはいませんでした。
http://www.path.ne.jp/~millnm/incest.html
これは、まだ遺伝子的に余裕があり劣性遺伝がおきにくかったからと思います。モーセ以降、聖書では一貫して近親相姦に対して反対の立場であり、それを奨励している箇所はありません。
3.
>申命記、というのはあきらかに後の為政者によって書かれたとする方も多いようです。先生は聖書は神様からの霊感によって書かれたとの立場です、このことはどうお考えですか?
後の為政者によって書かれたとする考え方にはある前提があります。
それは、「超自然的現象が起こるはずはない」です。
学者は、合理主義という間違った立場に立って議論を進めます。
たとえば、霊現象とか予言現象を「合理化」するのです。
「霊や天使が現れた?嘘だ。これは、何か雲のような自然現象を錯覚したのだろう」と。
しかし、合理主義そのものが証明されたことはないのです。
どの学者も「霊や天使や予言が存在しない」ということを証明できません。
なぜならば、科学は、「経験したことしか知ることはできない」という立場だからです。
科学の方法は、現象についてデータを集め、それを再現することによって検証します。
しかし、神存在、霊存在、天使、予言、死後の命の存在についていくらデータを集めたとしても、それが本当にそのデータなのか分かりません。
1000万のデータを集めたとして、それが神の存在を否定する結果となったとしても、1000万1回目にそれと違う結果が出ないとも限りません。
そこで、現代社会が権威としているヒューマニズムの科学の基礎として、「現象の世界以外の世界、叡智界については科学的探究は及ばない」というのが今の立場であり、それゆえ、叡智界について何かを言うことは科学者は放棄しているのです。
もしそのようなことを言う科学者がいれば、それは、彼が認識論について無知であるか、それともあえて越権行為として発言しているに過ぎません。
ですから、今の歴史学やら考古学の立場で、神の啓示についてとらえることはできないのです。
しかし、彼らはあえてそれに挑戦します。
クロス王という王様がまだ生まれていないときに、イザヤは神から「クロスによって私はイスラエルを救う」と宣言されました。
クリスチャンの立場からすると、「神はあらかじめ行うことを宣言されたのだ」ととらえますが、ノンクリスチャンの学者は「まだ生まれてもいない王様の名前がここに出てくるのはおかしい。きっと、クロス王の後の人がこれを書いたに違いない」と考えます。
超自然を否定する人が、超自然について解釈したものを読んでもまったく意味がないのです。
信仰の世界は、「聖書は間違いがない」という前提から出発すべきです。
今の経験科学の立場にたって、超自然のことについて判断する能力は、その科学自身が否定しているのですから、われわれが彼らの立場に立たねばならない理由は何もないのです。
2011年1月11日
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