1.
福音派の重鎮であった主任牧師が開いた裁判の席上で、私がポスト・ミレを表明すると、脇に顔をそむけて吐き捨てるように「そんなことありえないんですよ!」と言った。
この言葉には本当にびっくりした。
なぜならば、彼は常日頃説教で「私の目の黒いうちに日本を変えてみせる」と豪語していたからだ。
「なんだ、心の奥底では信じてなかったのか」と。
今のキリスト教っていったい何?
イエス・キリストの民が世界を変えるという信仰がないのになぜ教会活動をしているの?
「個人的な救いを得、それを他の人々に与えるため」?
じゃあ、イエスの「諸国民を弟子化せよ」との命令はどうするの?
「地を従えよ」との命令はどうするの?
教会は、「世界を征服せよ」との命令を無視している。
ヨシュアとカレブ以外のイスラエル人のようである。
彼らは荒野で滅んだ。
だから、今の教会も滅ぶ。
ヨルダン川の渡河を拒んだ者はすべて荒野で滅んだ。
カナン人と戦うことを拒んだ者はすべて荒野で滅んだ。
だから、今のキリスト教も滅びる。
あなたが生き残りたいなら、「ヨルダン川を渡って、カナン人と戦うぞ!」と言ったヨシュアとカレブの仲間にならなければならない。
ヨシュアとカレブの仲間になり、「できる!」と信じた人々には奇跡が起きた。
目の前に流れる川がせき止められた。
水にぬれずにわたることができた。
このことは、カナンを征服できることの保証である。
「生ける神があなたがたのうちにおられ、あなたがたの前から、カナン人、ヘテ人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、エモリ人、エブス人を、必ず追い払われることを、次のことで知らなければならない。」
「次のこと」とは「ヨルダン川のせきとめ」である。
ヨルダン川がせきとめられたことは、カナン征服の保証なのである。
だから、ヨルダン川を水にぬれることなくわたることができるならば、カナン征服はもう成就したも同然である。
われわれにとってヨルダン川とは何か。
2.
ヨルダン川は、御神域と俗界を分けるための結界であった。
この結界をイスラエルは東から西にくぐった。
これは、エデンの園の門を東から西にくぐるのと同じである。
神の国=聖地に入るには、東からである。
結界には、門番がいる。
鳥居には、鳥が居る。
鳥=天使(ケルビム)である。
ケルビムがエデンの園の門を管理していたのと同じである。
神道では、八咫烏という鳥が神道の奥義への門番をしている。
境内という御神域に入るには、必ず鳥居をくぐって、鳥の審査を受けなければならない。
聖域に値しない者は、排除される。
イスラエルは犠牲の小羊によって贖われていたので、カナンの地に入ることが許された。
われわれが世界を支配するには、支配者としての許可が必要である。
その資格は、イエス・キリストに属することによって与えられる。
信仰による洗礼を受けて、イエス・キリストの御体に加えられた者だけが世界を支配できる。
まず、われわれは、イルミナティによって破壊された聖書を回復しなければならない。
また、イエズス会によって破壊されたプロテスタント神学を回復しなければならない。
つまり、ディスペンセーショナリズムを捨て、契約神学を採用することである。
まず宮聖めを行うべきだ。
3.
すでに述べたように、ヨルダン川を渡ったら、カナン人の追い出しは成功したも同然である。
御神域の入り口で通行許可が出たら、御神域内部の改革は成功したも同然。
なぜならば、結界をくぐった者には、御神域を支配する法的権利が与えられているからである。
イエス・キリストを信じるという結界をくぐったクリスチャンには、世界を改革する法的権威がある。
クリスチャンになるということは、奇跡である。
人間の力では、回心はできない。
この回心の奇跡こそが、ヨルダン川の渡河で表現されているのである。