神を恐れて身を慎んで生きる道を選択しよう
わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。
主はすべてしいたげられている人々のために、正義とさばきを行なわれる。
主は、ご自身の道をモーセに、そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。
主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。
主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。
私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。
天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。(詩篇103・1-11)
契約の民の人生がここで歌われている。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。」
契約の民は、主を賛美する。
悪魔の民は、主を呪う。
悪魔の民の心の中には神への愛がない。
だから、神の望んでいることに無頓着である。
神を賛美するのは、神を愛する心があるからである。
神を愛する人は、神の名がほめたたえられることを希望する。
神がいたるところで賛美されるような神中心の世界を作りたいと願わない人は、本質的に心が変わっていない。
つまり、生まれ変わっていない。生まれ変わりがあれば、必ず神の御名を賛美する。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
契約の民は、神の善意を忘れない。神が自分にしてくださったよいことを覚えている。
自分に対して愛情のない人は、悪いことだけを思い出す。
いくら謝罪しても、自分に対していつまでも恨みの心を持つのは、愛がないからである。
中国や韓国が日本の過去をいつまでも責めるのは、日本が憎いからである。
神を愛する人は、過去に神がしてくださったよいことを思い出す。
「主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。」
思い返していただきたい。
神は、すべての咎を赦し、すべての病をいやし、いのちを穴から贖ってくださった。
結局、過去の罪や病や危険から逃れてこれたではないか。
大変なところを通ってきたが、今、こうやって元気である。
「恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる」
クリスチャンの頭には「恵みとあわれみ」の王冠がある。
神はわれわれを恵み、あわれんでおられる。
過去、必要に応じて助ける人を与えてくださっただろう。
学ぶべきときに、教えてくれる本や人と出会わせてくださった。
なすべき仕事を与え、使命を与え、知識を与えてくださった。
父親は、亡くなる前、よく「自分の人生は祝福された」と言っていた。
はたから見ても、神に愛されていることがよくわかった。
自分の人生を振り返って、人間的に見て、そう思えないかもしれないが、実は恵まれていたことを後になってわかるものである。
「あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」
ノンクリスチャンにとって人生のピークは若いころである。
どんどん老けていって、希望のない顔になる。
クリスチャンは、未来に向かって死ぬまで挑戦し続ける。
だから、年齢より若く見える。
老年になってやることがなくなって、ただ死を待つのみ、なんてことにはならない。
一生、神の国の拡大という目標があるので老後などない。
私は、死ぬまで健康で御国の活動を続けられるように祈っている。
やるべきことがあまりにも多すぎる。
「主はすべてしいたげられている人々のために、正義とさばきを行なわれる。」
この世界に理不尽で終わることはない。
もちろん、人間的なスケールではわからないこともある。
しかし、すべてにおいて、神は正義を行われ、悪を裁かれる。
悪人がそのままでいられるわけがない。
弱い人が強い人にいじめられたままでいるはずがない。
だから、われわれは正義と裁きを求めるべきである。
それは必ず与えられる。
「主は、ご自身の道をモーセに、そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。」
神は指導者に道を示される。探れば必ず正しい教えに出会う。
クリスチャンには、みわざを見せられる。
イスラエルの人々が神の奇跡を見たように、われわれも奇跡を見る。
神は契約の民に御心を知らせ、無知のままに放置されない。
「主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。」
神は怒りを遅くされる。
われわれが更生するのを辛抱強く待っておられる。
だから、罪を犯したらすぐに罰するようなことはされない。
ただ、無頓着な人には警告としていろんなことが起きる。
いつも神を恐れて自分から反省し、身を正すようにしたいものである。
「天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。」
神の人、クリスチャンの特徴は、主を恐れるということである。
同性婚が全米で合法化した。
アメリカは、神の法にまっこうから逆らう文化になった。
神を恐れない文化になった。
だから、裁きは近い。
われわれは、神が正義を行われるので、罪が放置されたままでいることがないと知っている。
結局、神に逆らうことは損失以外のなにものでもない。
神を恐れて身を慎んで生きる道を選択しよう。
2015年7月1日
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