チャレンジ精神とは「失敗したときの悲惨を受け入れる度量」である


"左派的な思想というのは、嫉妬や憎悪などのネガティブな感情を土台としているので、ネガティブなものの正当化という基本的な性質がありますし、一般的な価値観において成長することを目指すよりも、その一般的な価値観の破壊の方を目指すので、物質的にも精神的にも、下方平準化の方向性を持っています。
上位者と下位者との差が縮まる代わりに、全体のレベルが下降していきます。
そして、左派的な人が求める「結果的な平等」を実現しようとした場合、上方平準化は不可能なので、下方平準化が実現することになります。"
http://korva.blog81.fc2.com/blog-entry-231.html?sp

この部分は、私の体験から、完全に同意できる。

若いときに左翼思想に大きく影響されたことは、大変残念である。

結果の平等を目指すと、優れた人が潰されて、凡庸な活気のない大衆が生まれる。

人々は、リスクを冒すことを避け、できるだけ「人並み」を目指すようになる。

戦後世代に活力のみなぎる人がきわめて少ないのは、「結果の平等」という左翼思想に汚染されたからである。

チャレンジ精神とは「失敗したときの悲惨を受け入れる度量」である。

チャレンジには、失敗がつきもの。

失敗してすぐに諦める人は弱い。

私が尊敬するK1の魔裟斗をはじめ、一流の選手は打たれ強い。

「祈ってもだめだ」とすぐに諦めるような人は、何も手に入れられない。

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。
ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。
そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。(ヤコブ1・2-8)

 

 

2018年6月10日



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