中国の新兵学書「超限戦」 by 福山 隆


尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権を巡る反日デモが10月19日から3日連続で繰り広げられた。デモ参加者は、大学生など若者が主体で、場所は、四川省成都市・綿陽市、陝西省西安市、河南省鄭州市、湖北省武漢市など中国内陸部だという。

デモの原因は定かではない。表向きの反日デモという見方は浅薄だ。中国では急速な経済成長の陰で、貧富の格差や就職難、官僚の汚職などが社会問題化し、現共産党政府に対する不満が底流にあるのは確かだ。

 当局としては、これらの不満を「反日」に転嫁させたいというのが本音だろう。一方で、デモがエスカレートするのを容認すると、天安門事件同様反政府デモになる恐れがある。

 日本としては、現在生起している反日デモを中国政府がどんな「魂胆」でコントロールしているのか真剣に分析し、その「火の粉」の向かう先を予測し、対策を講じる必要がある。

 今回、中国の「魂胆」を読み解く「手がかり」として「超限戦」という「兵学書」を紹介したい。

1. 「9.11」の予言書―『超限戦』 

(1)孫子のDNAを継承する中国

 『超限戦』というタイトルの「兵学書」(1999年発表)がある。これは、中国軍現役大佐の喬良と王湘穂による戦略研究の共著である。

 2人は、さすが「孫子の兵法」が著された民族のDNAを継承するだけあって、柔軟でスケールの大きな思考や論理を展開しており、読む人を魅了する。

 本書の内容は、欧米軍はもとより、自衛隊で使用されている戦略・戦術の領域を超えたもので、古今の軍学・兵法の枠をはるかに超えるものである。その意味においては、西欧の戦略・戦術・兵法などとは非対称のものと言えるだろう。

(2)「超限戦」とは

 喬良と王湘穂は「超限戦」について、「グローバル化と技術の総合を特徴とする21世紀の戦争は、すべての境界と限界を超えた戦争」だと位置づけ、「あらゆるものが戦争の手段となり、あらゆる領域が戦場になり得る。すべての兵器と技術が組み合わされ、戦争と非戦争、軍事と非軍事、軍人と非軍人という境界がなくなる」と述べている。

 また「超限戦」に含まれる「戦い方」として、通常戦、外交戦、国家テロ戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、法律戦、心理戦、メディア戦など25種類を挙げている。

 さらに、2人は「『超限戦』においては、目的達成のためには手段を選ばず、徹底的にマキャベリになりきることだ」としている。そのためには、「倫理基準を超え、タブーを脱し、手段選択の自由を得なければならない」と説いている。

 ちなみに、中国は2003年に「中国人民解放軍政治工作条例」を改正し、「三戦」と呼ばれる「輿論戦」「心理戦」および「法律戦」の展開を政治工作に追加した。これらはいずれも、上記の「戦い方」の中に包含される。

(3)「超限戦」の実例

この「倫理基準を超え、タブーを脱した」作戦――「超限戦」――の典型的な例が2001年9月11日に実行され、世界に衝撃を与えた「同時多発テロ」である。

 モハメド・アタを中心とするアラブ系のグループは、4機の民間航空機をほぼ同時にハイジャックして世界貿易センタービルと国防総省本庁舎に突入させた。

 モハメド・アタが「超限戦」について精通していたとは思えないが、置かれた状況の中で必死にたどり着いた結果だったのだろう。

(4)「超限戦」の原理

 「超限戦」の原理は、クラウゼビッツの説く「武力的な手段を用いて自分の意志を敵に強制的に受け入れさせる」という「戦争」の原理から「武力と非武力、軍事と非軍事、殺傷と非殺傷を含むすべての手段を用いて、自分の利益を敵に強制的に受け入れさせること」に代わったと述べている。

(5)「超限戦」を実行する際の原則

 「超限戦」を実行する際の原則として以下の8項目を挙げている。

●全方向度

 直面する戦争と関連ある要素を全面的(360度)考慮し、戦場と潜在的な戦場を観察し、計画と使用手段を設計し、動員できるすべての戦争資源を組み合わせること。

●リアルタイム性

 同一時間帯に異なる空間でバラバラだが秩序を持って作戦する。

●有限の目標

 目標は手段より小さくなければならない。手段の及ぶ範囲内で行動の指針を確立する(朝鮮戦争におけるマッカーサーの失敗やベトナム戦争の失敗原因は戦争目的・目標を「有限」にできなかったこと)。

●無限の手段

 手段は目標に奉仕すべきであり、無制限な手段を運用できる体制を保持しつつも、有限の目標を満足させるだけの手段にとどめる。「心の欲するところに随いて矩を超えず(孔子)」の戒め。

●非均衡

 均衡対象の相反する方向に沿って行動ポイントを探す。相手が全く予測できない領域と戦線を選び、打撃の重心はいつも相手に大きな心理的動揺をもたらす部位を選ぶ。

●最小の消耗

 目標を実現するに足る最低限度の戦争資源を合理的に使う。

●多次元の協力

 1つの目標が覆う軍事と非軍事の領域において、動員できるすべての力を協力して配置する。

●全課程のコントロール

 戦争の開始、進行、収束の全過程で絶えず情報を収集し、行動を修正・調整し、常に情勢をコントロールする。

2. 「超限戦」が尖閣事件処理の中国のマニュアルだったのでは

このたびの中国の尖閣事件への対応ぶりを観察すると、同国は「超限戦」を念頭に「対日交渉」を実行したのではないかと思われる。

 「対日交渉」とはいえ、上記の「『超限戦』の原理」に照らし、「武力と非武力、軍事と非軍事、殺傷と非殺傷を含むすべての手段を用いて、中国の利益――「船長釈放」はもとより、尖閣を領土問題として世界に認知させるなど――を日本に強制的に受け入れさせた」ことを見れば、これは実弾を撃ち合わない「日中間の戦争」、すなわち「超限戦」であったのではないだろうか。

 改めて、尖閣事件における日本と中国の「攻防」の経緯を振り返ると、中国側のオペレーションが「『超限戦』の原則」に即していた点が多かったことに気づかされる。

(1)全方向度(動員できるすべての戦争資源を組み合わせること)

 尖閣事件においては、共産党政権一党独裁の強力なコントロールの下、軍事力(陸・海・空軍、第2砲兵=ミサイル部隊など=、宇宙空間の軍事利用)、諜報機関、政治(会談の延期・ボイコットなど)、メディア・広報(日本のメディアコントロールも中国の重要な手段の1つと見られる)、官製デモ、インターネット(反日書き込み)、常任理事国として国連における温家宝首相の発言、経済制裁手段(レアアース禁輸、旅行禁止、入管手続き遅延など)、歴史(日本人の自虐的史観)の刷り込み、中国シンパの日本人指導者活用など、中国の動員できる戦争(交渉)資源の豊富さには驚かされる。

 反面、日本政府は、馬鹿の一つ覚えのように「国内法に基づいて粛々と処理をする」と述べるだけで、中国に比べて何と貧困な戦争(交渉)資源だったことか。

(2)リアルタイム性(同一時間帯に異なる空間で行動する)
日本は、事件の間、沖縄で同地検の手に委ね取り調べを行ったが、中国人船長の拘留延長が決まった直後、中国は河北省内でフジタの社員4人を拘束し、沖縄のほかにもう1つの闘争の場――「新闘争空間」――を作り上げた。

 また、中国の温家宝首相は10月21日夜、国連総会出席のためニューヨークに飛び、逮捕された中国人船長の即時かつ無条件釈放を日本側に要求したほか、「釣魚島は中国の神聖な領土だ」と主張するなど、米国に第3の「闘争空間」を作り上げた。

 日本は、沖縄のみを唯一の闘争空間とし、温家宝首相同様ニューヨークを訪れた菅直人首相は国連など国際社会に向け本事件についての我が国の明確な主張もなく、留守の間に沖縄地検が中国人船長を釈放したことについての弁明に終始した。

(3)有限の目標(手段の及ぶ範囲内で行動の指針を確立する)

 中国側の具体的な目標は、「船長の早期無条件釈放」であった。沖縄地検は拘留延長期間(10月19日から29日)の途中(25日)に、独自の判断で船長を釈放し、この中国の目的は達成された。

 「船長の早期無条件釈放」は、一見それだけに見られがちだが、これは水面上に出た氷山の一角で、日本が失った水面下の「氷山」は大きなものだった。

 すなわち、水面下の「氷山」とは、
(1)中国が尖閣を日中間の領土問題として国際的にアピールしたこと、(2)日本との係争事案(謂わば交戦無き戦争)で中国が勝利したこと、(3)日米同盟が弱体化していることを暴露されたこと、などであろう。

(4)無限の手段(有限の目標を満足させるだけの手段にとどめる)

 「全方向度」で述べたように、中国は核ミサイルから、レアアースの禁輸まで広範にわたる多種多様な対日対応手段を持っていたが、「船長の早期無条件釈放」という「有限の目標」を追求するうえでは核ミサイルによる恫喝などの「牛刀」をわざわざ使用するまでもなく複数の「小刀」を使用するにとどめた。

(5)非均衡(相手が全く予測できない領域と戦線を選び、打撃の重心はいつも相手に大きな心理的動揺をもたらす部位を選ぶ)

 この原則が適用されたことは非常に分かりやすい。中国は拘束された船長を釈放させるため日本が全く予想していなかった挙に出、河北省内でフジタの社員4人を国家安全局が拘束した。

 この際、中国は拘束理由を「軍事目標」を撮影したと説明した。中国でのスパイ罪は、最高刑が死刑である。これにより、中国は日本との「超限戦」の手段として、フジタの社員の「生命」までも手中に収めたことになる。

 正しく「打撃の重心はいつも相手に大きな心理的動揺をもたらす部位を選ぶ」の原則通りの展開となった。

(6)最小の消耗(目標を実現するに足る最低限度の戦争資源を使う)

 これについては、説明の要もないだろう。中国は、「船長の早期無条件釈放」を達成した後は、謝罪と賠償を求める方針を明らかにしたものの、日本政府を深追いせず、いち早く事態の収拾にシフトした観が強い。

 「有限の目標」の原則に従わず、日本を深追いすれば中国にとって大きな消耗を伴う事態も予測される。

 すなわち、日本はもとより、アジアや全世界規模で対中国警戒論が強まり、日米同盟が強固になるなどだ。

 また、国内的に見れば、引き続き日本との軋轢を高めれば、中国世論の反日スパイラルが高騰し、果ては、反政府運動に発展するリスクがあり、胡錦濤主席はかえって苦しい立場に追い込まれる可能性がある。

 いらぬ消耗を避けるためには「矛を下ろす潮時」が重要であることを中国政府は賢明にも承知しているようだ。

(7)多次元の協力(動員できるすべての力を協力して配置する)

 中国の共産党一党独裁体制は、「船長の早期無条件釈放」という具体的な目標に向け動員した全手段を多次元に配置・協力させるうえでは最適のものと思われる。中国当局は日本のメディアまでも意のままに協力させ得る体勢を確立しているのではないだろうか。

(8)全過程のコントロール(戦争の全過程で絶えず情報を収集し、行動を調整し、情勢をコントロールする)

 「全過程のコントロール」の意義について、「主導権を終始自分の手中に収めるためには、全過程に対しフィードバックと修正を行う必要がある」と述べている。

 中国が日本に対し常に主導権を握るためには、日本政府、世論、メディア、経済制裁を受けた関連業界の動向、沖縄地検の動きなど時々刻々、広範な情報を収集・分析しつつ、これを活用して中国側の対抗手段・手法(温家宝首相の言動、報道官のコメント、経済制裁、官製デモ、ネットへの書き込みなど)を巧みに調整・統制していたものと思われる。

 中国政府が、どのような対日「攻撃」を一元的にコントロールするための組織――いわば「中国版『大本営』」――を立ち上げてこれを運用していたのか、興味の持たれるところだ。今後情報収集し、解明する必要があろう。

 3. 「超限戦」に対応するための提案 

我が国が、今後中国の「超限戦」に対応するための方策を思いつくままに挙げてみたい。

(1)尖閣事件の総合的な検討・研究

 勝ち戦からは良い教訓は得られにくいが、敗戦からは得られやすい。日本は官民を挙げて本件事件を研究し、今後の中国対応の方策を確立しなければならない。

 上述のように、今次事件は、多分に『超限戦』の記述の符合するものが多い。私の拙いアプローチ・分析が少しでも役に立てばと念ずる次第である。

 これまで戦訓の分析と言えば、軍事関係者の仕事と思われたが、「超限戦」の立場からは、軍事、外交、警察・公安調査庁、財務、経済産業、メディア、サイバー、心理学などあらゆる部門が共同研究しなければ十分な教訓は得られないものと思う。

(2)日本版「超限戦」危機管理実施機関の設立

 上記の危機管理計画に基づく「超限戦」対処のための組織として、「国家戦略庁」の創設の検討・実現が待たれる。

 「国家戦略庁」には、危機管理計画計立案機能と同時に同計画を実行する機能・権限も付与すべきである。すなわち「超限戦」事態においては、「国家戦略庁」に外務省、防衛省、警察庁、国土交通省(海上保安庁)、財務省、経済産業省など関係省庁を強力に指揮・統制できる権限を付与しなければならない。

4. むすびに代えて―日本政府・国民の覚悟 

今日我が国は米中覇権争いの真只中にあり、まさに「天王山」に相当する立場にある。戦後我が国は一貫して日米同盟を基軸として、国家の安全と繁栄を図ってきた。

 引き続きこのレジームを堅持する限り、当面、日本と中国の軋轢は継続するだろう。上述のように、4000年の歴史の中で育まれた中国の戦略・戦術は卓抜なものがあり、これに対処するには一筋縄ではいかないだろう。

 我々は聖徳太子や北条時宗のように独立の気概を持ち、理不尽な中国の圧力に対しては断固として対応する覚悟を固めるべきだろう。もとより、我が国だけで中国に抗しきれるわけでもなく、日米同盟の強化を図ることは論を俟たない。  .

 

 

2010年11月25日

 

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