契約にとどまり相続を受けられるようにしよう


(1)
もし相続がなければこの人生はむなしい。

一生は短く、すぐに終わってしまう。

1000億の資産を蓄えても、もし相続資格がなければむなしい。

聖書が繰り返して述べているのは、神の民は、相続可能な人々だということだ。

クリスチャンになることによって、われわれは、自分が人生で行い、作り上げた富や財産のすべてを永遠に相続できる。

しかし、相続の質と量には差がある。

ルカ18章では、はっきりと「不正な富に忠実でなければ、どうしてまことの富を任せられるか」といわれている。

「不正な」とは「あくどい方法で作った」という意味ではなく、「この世のはかない」という意味である。

つまり、神はこの地上の「すぐに腐敗し、盗まれ、消えてしまう」富について忠実でない者に、永遠の富を任せられないといわれる。

地上においてわれわれに与えられている富や資産は、永遠の富や資産を受け継ぐためのテストなのだ。

地上で与えられたものをいかに賢く、神の国のために使うかを神は見ておられる。

賢く使って財産を増やし、神の国を発展させた者には、永遠の富を何倍も与えられる。

それをしなかった者には、永遠の富はわずかしか与えられない。

このように、われわれの人生は相続を得るためのものであって、この人生がすべてではない。

あくまでも、地上生活はテストである。

(2)
再建主義の5条件を見てほしい。
http://www.millnm.net/millnm/5points.html

申命記を含む古代中近東の主要な宗主契約と同じ5条件になっている。

われわれの救いの契約もこの聖書契約と同じように5条件からなっている。

だから、救いの目的は、第5条件の「相続」である。

われわれがイエスによって救われる目的は、永遠の相続を受けるためである。

「そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。」(マタイ25・34)

この世界で最大の不幸とは、永遠の相続を受けられないことである。

人生でいかに大きな権力と資産を持っていても、永遠の相続を拒否されたら意味がない。

地獄で無一文のまま苦しみ続けたらまったく何もならない。

(3)
相続を受けるには、救いの契約に入ることである。

イエスを主と信じ、告白し、バプテスマ(洗礼)を受け、聖餐にあずかり続けることである。

契約にとどまり続けるには罪の告白と許しを毎日行うことである。

一日に犯した罪を悔い改め、神との関係を常に正常にしておくこと。

罪を犯しても「何が悪いんだ!」と逆らうならば、契約から追い出される。具体的には、教会の戒規を受けて、聖餐停止処分の後、悔い改める意思がない場合、除名処分を受ける。

教会が下した宣言は、天においても有効なので、除名された人は、相続不能になる。

つまり、地獄である。

インターネットで匿名性をたてに人の悪口を平気で書いているような人間は、いずれその罪は暴露され、教会の知るところになり、除名処分になるだろう。

普通、御霊が心にある人は、どんなに匿名であっても、御霊がとどめるので、人の悪口をいえないものだ。

御霊の制止を振り切ってやっているなら、悔い改める余地なしとみなされて、永遠の刑罰を受ける。

クリスチャンによる忠告を受けても逆にそのクリスチャンに食ってかかるような人間は、聖書に書いてある「豚」であり、忠告に値しない。

動物と同じように滅ぶしかない。

「ところがこの者どもは、捕えられ殺されるために自然に生まれついた、理性のない動物と同じで、自分が知りもしないことをそしるのです。それで動物が滅ぼされるように、彼らも滅ぼされてしまうのです。」(2ペテロ2・12)

(4)
有名な天文研究家の木内鶴彦さんは、一度死に掛けたことがある。
http://www.youtube.com/watch?v=e-gUqbnVrM4

この臨死体験は興味深い。

霊が肉体を離れる幽体離脱の体験をしたという。

離れた霊魂は、自分が医者に処置されるのを離れてみている。

ベッドの自分を見ている父親に後ろから話しかけるが、伝わらない。

三途の川を舟で渡り、死んだ親戚と会う。

中に中年の美しい女性がいたという。

蘇生して父親に話すと、叔母であると判明。

霊魂になった自分が時空を超越できることに気づく。

千年前のある神社の片隅に当時のある人に憑依して「鶴」という字を墨で記録。

蘇生してから、その神社を訪れる機会があったので、探し出すとちゃんとその字が残っていた。

このような体験をどう評価するか。

まず、生前イエスを信じなかった人は裁きの座に立つので、死者の霊が刑罰も何もない状態でいる可能性はゼロである。

時空を超越する可能性を認めると、歴史に変化が生じるので、神の決定を犯すことになり、これも可能性はゼロ。

人間の脳には臨死体験をする領域があるらしい。

被験者の脳のその部分を刺激すると、そのような体験をするという。

たとえば、トンネルを抜ける体験。抜けた後に光を見る体験。

いわゆるニューエイジの人々、たとえば、中丸薫氏のような方は、体験を重視し、聖書によってチェックしない。

むしろ、聖書のほうが間違っているという。

中丸氏は、「聖書には輪廻転生の証拠があったが、後世に、教会人によって消された」という。

聖書は、神の守りによって十全に保全されてきた。

もちろん、ウェストコットらの策謀により100年余り、一時的に逸脱していたが、神は、回復の業を開始された。

かくして、われわれは、聖書に照らして体験をチェックする責任がある。

悪魔は、体験をことさらに重視させようとたくらんでいる。

だまされないようにしよう。

契約から落ちないために。

 

 

2012年9月16日



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