自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい
自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。(マタイ6・19-20)
ヒューマニズムは、現世を「刈り入れ期」と教える。
親や教師は「この世で幸せになることを求めなさい」と教える。
そして、子供たちは「自分が幸せになり、輝ける未来」を夢想する。
しかし、そのような未来はやってこない。
なぜならば、神がこの世を「仕込み期」「種まき期」と設定されたから。
自分が蒔いた種を現世で刈り取ることを期待する人々は、失望する。
現世で蓄えた宝には「虫」や「さび」がつく。
「盗人が穴をあけて盗む」。
現世で刈り取ろうとして、神の法に違反する人々はもっとも愚かである。
現世で自分が期待したものが得られないだけではなく、来世において現世で蒔いた自分の「負の種」を刈り取るからである。
聖書的な考え方をする人々は、自分が誰かに対して行った善の報いを相手から期待しない。
「現世はただ善を行うための仕込み期であって刈り取り期ではない」と考えているからである。
彼らは、収穫物を「天」で受け取れると信じている。
現世で収穫しようとする人々は「人に見せるために善を行う」。
そのとき、イエスは群衆と弟子たちに話をして、
こう言われた。「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。
ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。
また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。
彼らのしていることはみな、人に見せるためです。経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです。
また、宴会の上座や会堂の上席が大好きで、
広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。(マタイ23・1-7)
パリサイ人は「人に見せるため」に「経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたり」した。
イエスはこのような人々を愚か者と呼ばれた。
賢い人は、現世での報いを期待せず、ひたすらに来世でのみ受けようとする。
彼らは「報いを受ける」ために「人前で善行をしないように気をつけ」る。
人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。(マタイ6・1)
そして、逆に「ののしられ、迫害され、ありもしないことで悪口を浴びせ」られることを期待する。
わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。(マタイ5・11)
なぜか。「天での報いが大きいから」。
喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。(マタイ5・12)
クリスチャンは、来世で「のみ」報いを受けようとする。
そのために神の国のために迫害され、苦しむことを望む。
すべての不幸は「現世を収穫期と誤解すること」から生じるのである。
ユーチューブのコメント欄で医者とおぼしき人物と会話した。
私が「不要な手術を勧める医者は、中国の臓器売買人を笑えない」と言ったところ「われわれは、たくさんのおカネを使い、大きな努力をして医者になったのだから、大きな報酬を得るのは当然だ」と言った。
「大きな報酬を得ることには反対しないが、不要な手術を勧めるのはよくない」と言うと、罵詈雑言を浴びせられた。
われわれ一般人は、医者を信頼している。
手術を勧められたら「必要な措置なのだろう」と考える。
しかし、彼らの一部には「金儲けのために」手術を行い、取らなくてもいい臓器を取る不届き者がいるのである。
このようなとんでもない悪の原因はすべて、「現世を収穫期とする」間違った考え方にある。
「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい」。
2019年4月7日
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