本格的な神の国建設の土台は予定論である


”現在、われわれは、人間至上主義(ヒューマニズム)の最後の時代に生きている。不幸にも、人間至上主義は、教会の非常に多くの領域を占領している。神の法は軽視され、教会員たちは「自分の内側で知覚する法しか認め」ず、これを聖霊の導きと呼んでいる。”(R・J・ラッシュドゥーニー、An Informed Faith: The Position Papers of R. J. Rushdoony, Volume 1(Vallecito, CA: Ross House Books, 2017), p. 12.)

「あなたは愛されるために生まれてきた」という文句が教会からも語られている。

教会は人間教に占領された。

人間教とは「人間の人間による人間のための宗教」であり、キリスト教ではない。

人間教において、人間は実質的な神である。

聖書の神は、この偶像神に奉仕する存在と見なされている。

宗教改革において、聖書に記されているとおりのキリスト教、つまり、聖書的キリスト教が回復した。

サタンはこの信仰復興を破壊するために、イグナチウス・デ・ロヨラという人物を起こし、イエズス会を創設させ、反宗教改革運動を開始させた。

イエズス会は、アルミニウス主義を作り、教会の中に投入し、彼らのエージェントを使って破壊活動を開始した。

破壊すべき第一のターゲットは、予定論であった。

予定論は、徹底した神中心主義である。

誰が救われるか、誰が滅びるかは、永遠の昔に神がお一人で、人間のいかなる行為とも無関係に決定された。

アルミニウス主義は「神の予定は、人間の行為の予見に基づいて決定された」と説く。

すなわち、神は永遠の昔に誰がどのような決断をし、どのような行動を取るかを予見し、それに基づいて救われる人と滅びる人を決定したと。

違う。

神は、人間のいかなる決断も、いかなる行為も考慮せずに、ご自身の主権に基づき、一方的に救いと滅びを決定されたのである。

これが聖書の教えである。

人間は、映画監督から役割を一方的に与えられる役者のようなものである。

各人は、その役をこなすために生まれてくる。

ある人は、救われて善を行うために生まれさせられ、ある人は、救われず悪を行うために生まれる。

滅びに予定された人からすれば「ひどい」ということになるのだが、主権者は神である。

被造物である人間には、神の決定に文句は一切言えない。

ある人は「何も悪いことをしていないのに、最初から滅びることが決定されているのはおかしい」というかもしれない。

滅びるのは、罪のためである。

人は、自分が犯した罪のために滅びる。

神に不正は一切ない。

救われる人は、自分の行いが正しいから救われるのではない。

キリストの行いが正しかったので救われるのである。

われわれは、キリストを着るのである。

全身を完全に覆うキリストという衣服を着るのである。

神の目からは、キリストしか見えない。

われわれの姿が少しでも見えると滅びる。

われわれは、信仰によってこの衣服を着たのである。

滅びに予定された人は、福音を聞いても反応しない。

信仰を持つことを拒否する。

彼らは、キリストという衣服を着ず、裸の状態で神の法廷に出て行く。

なぜ彼らは福音に応答しないのか。

なぜ救われることを望まないのか。

神が救いの望みをお与えにならなかったからである。

神が永遠の昔に滅びに決定されたので、救いの望みを持てないのである。

いくらわれわれが伝道しても、予定されていない人は救われない。

「神はどんなに救われたいと願い求道する人をも滅ぼされるのか」と言う人がいるかもしれない。

滅びに予定されている人は、救われたいと思わないのである。

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(1コリント1・18)

彼らにとって福音は愚かなのである。

身長や肌の色、顔が一方的に決定されているように、救いも一方的に決定されている。

神は、ご自身の栄光のために世界を創造され、ご自身の目的に応じて人を召される。

わずかでも人間の決定の要素を残されない。

アルミニウス主義は、人間の側に「救いの決断」と「善を行う能力」を残す教えである。

18世紀にこのような教えと妥協した結果、人間の側の決定権と能力を徹底的に拡大し、神の側のそれを完全否定するインマヌエル・カントが現れ、そこから啓蒙主義が生まれた。

啓蒙主義からフランス革命とロシア革命が起きて、悪魔的な共産主義社会が誕生した。

その共産主義運動によって、今や、日本も乗っ取られ、破壊されようとしている。

予定論を否定することは、地獄を作り出すことに等しい。

人間教というバベルの塔は完成寸前である。

しかし、バベルの塔は必ず崩れる。

神は人間教による世界支配を許されない。

これから、本格的に神の国建設が始まる。

その土台は、予定論である。

 

 

2018年5月14日



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